上三宮三島神社。喜多方市上三宮町上三宮籬山の神社

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上三宮三島神社。加納盛時が祖父佐原盛連の遺言により創建、旧郷社

上三宮三島神社の概要

上三宮三島神社は、喜多方市上三宮町上三宮籬山にある神社です。上三宮三島神社は、加納庄に居住した加納(佐原)盛時が、祖父佐原盛連の遺言により三島大社を勧請して承久3年(1221)に創建、陸奥国三宮と称していたといいます。その後衰廃していたものの、藩主松平氏が尊信、明治5年郷社に列格していました。

上三宮三島神社
上三宮三島神社の概要
社号 三島神社
祭神 大山祇命
相殿 -
境内社 -
祭日 例大祭9月9日
住所 喜多方市上三宮町上三宮籬山
備考 -



上三宮三島神社の由緒

上三宮三島神社は、加納庄に居住した加納(佐原)盛時が、祖父佐原盛連の遺言により三島大社を勧請して承久3年(1221)に創建、陸奥国三宮と称していたといいます。その後衰廃していたものの、藩主松平氏が尊信、明治5年郷社に列格していました。

「福島県耶麻郡誌」による上三宮三島神社の由緒

三島神社
一祭神:大山祇命
一所在:上三宮村字籬山鎮座
一由緒:社傳に曰後鳥羽天皇文治五己酉年佐原義連封を當國に受け義連の子盛連、盛連の五男盛時是耶麻郡加納庄に来居す。加納五郎盛時と云。其壘蹟今猶當村に存す。盛時祖父義連の遺言を以て伊豆國加茂郡三島神社を此地に勸請す。社殿巨宏造營數年にして承久三辛巳年六月落成す。盛時厚く崇敬し隣郷三十貫文の地を寄附し陸奥國第三宮と云。爾来星霜押移り何頃か社領を沒収し漸々衰毀に及ふ時に藩主松平氏舊記を尋ねて深く當社を尊信し社前狼藉殺生諸木を伐採する禁札を掲け代々春秋二季及旱水の折祈願使を發して奉幣を献し厚く祭祀の禮を行ふ。明治五年郷社に列せらる。
一勧請:承久三辛巳年六月 加納五郎盛時勸請
一祭日:九月十六日(「福島県耶麻郡誌」より)


上三宮三島神社所蔵の文化財

  • 三島神社太々神楽(福島県指定重要無形民俗文化財)

三島神社太々神楽

三島神社太々神楽は江戸時代初期の元和七年(一六二一年)に、同社の宮司をつとめていた高村権太夫が京都吉田神社の卜部家から習得したものと伝えられている出雲流神楽です。出雲流神楽は福島県中通り地方中部に多いのですが、会津地方の例は少ないとされます。
舞は次の十二の演目で構成されており、『古事記』や『日本書紀』という日本古来の神話に出てくる神様達に扮した演者が「国生み」や「岩戸開き」などのお話をもとにした舞を披露します。
一ご神前の舞
二左右の舞
三御幣の舞
四御玉の舞
五御鏡の舞
六御榊の舞
七岩戸の舞
八巫女舞
九鉾の舞
十稲荷の舞
十一釣の舞
十二剣の舞
特徴としては、福島県内に流布する出雲流神楽とは系統が異なっていることで、舞の際の舞台の巡り方や、笛と太鼓の曲それぞれに名称が付けられ、舞に組み合わされていることなお、県内に例を見ない内容を持っています。このような特徴は新潟方面の出雲流神楽との間に共通点が指摘されており、新潟方面との関係が深いと考えられています。
この神楽は九月九日の秋の例祭の夜に行われますが、かつては旧暦九月十五日、十六日に行われていました。戦前から上三宮地区の青年団により伝承されていたのですが、昭和四十二年には「上三宮太々神楽保存会」が結成され、この神楽を地区全体で大切に守り伝えています。(喜多方市教育委員会掲示より)

上三宮三島神社の周辺図


参考資料

  • 「福島県耶麻郡誌」