古四王神社。喜多方市慶徳町松舞家の神社
古四王神社の概要
古四王神社は、喜多方市慶徳町松舞家にある神社です。古四王神社の創建年代等は不詳ながら、聖徳太子の本願により勧請された古四王神社三社の一社だといいます。その後衰廃していた当社を行基菩薩が再興、天正年間の兵乱に罹災し社殿のみとなってしまったといいます。明治5年村社に列格していました。
社号 | 古四王神社 |
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祭神 | 大毘古命、武渟名川別命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 喜多方市慶徳町松舞家 |
備考 | - |
古四王神社の由緒
古四王神社の創建年代等は不詳ながら、聖徳太子の本願により勧請された古四王神社三社の一社だといいます。その後衰廃していた当社を行基菩薩が再興、天正年間の兵乱に罹災し社殿のみとなってしまったといいます。明治5年村社に列格していました。
「福島県耶麻郡誌」による古四王神社の由緒
指定村社古四王神社
一祭神:大毘古命、武渟名川別命
一所在:慶徳村大字松舞家(宮在家)字馬坂山鎮座
一由緒:社傳曰當社は推古天皇の御宇聖徳太子蝦夷追伏の本願に依て勸請せられし本朝三古四応の其一なり。所謂越後國五十公野及出羽國秋田の古四王是なりと云。何れも祭日及社殿北に向ふ等異なることなしと。社殿北に面するは當時蝦夷の賊を鎮守の爲めに勸請せるに依ると云。同六戊午年九月十三日社縁造營成就す。其後元明天皇六癸丑年諸國郡村を定め給ふの時行基僧正勅を蒙り来りて當山の衰へたると再興し其後十七年を經て聖武天皇天平元年己已の歳再ひ来りて彌陀觀音地蔵の三像を彫み千光寺西蓮寺其他の堂塔を創建せり。夫より漸々隆盛に至り例年六月十三日を以て大祭とし四月十七日を以て觀音の大會と爲す。神殿堂塔甍を竝へ金殿空に聳へ高樓天に秀で甚た盛なりしも數百年の星霜を經て悉く廃絶し唯當社のみ猶今に存せり。弘治年中大納言藤原義貞當國に左遷せられし時當社を深く信仰せられ歸洛の後新に社殿を造營せらる今の社殿即ち是なり。其梁に曰
大納言藤原姓伊藤義貞卿
弘治三丁巳年八月吉日
大工越後國 淺倉太郎左衛門
檀那 三瓶 常寶
右常寶は其時の地頭なり。其後天正年中兵亂の爲め什寶遺器悉く亡ひて唯社殿を存するのみ。明治五年村社に列せらる。
一勧請:年月不詳
一祭日:七月十八日(「福島県耶麻郡誌」より)
「新編会津風土記」による古四王神社の由緒
村西二町十間山上にあり祭神は市千魂命なり鎮座の年月詳ならす鳥居あり(別當は四天王の木像を安置せる故古四王といへり、像は聖徳太子の作なりといふ)此山松杉蒼鬱として鶴の翼を張れるに似たり故に鶴森と云ふ(「新編会津風土記」より)
古四王神社の周辺図
参考資料
- 「新編会津風土記」
- 「福島県耶麻郡誌」