流古山満蔵寺。会津三十三観音束原観音堂
満蔵寺の概要
天台宗寺院の満蔵寺は、流古山と号します。満蔵寺の創建年代等は不詳ながら、文亀2年(1502)には源順という住僧がいたといい、明暦元年(1655)に日光山妙道院の門徒寺となったといいます。境内の束原観音堂は元禄15年(1702)に満蔵寺とともに当地へ移転して再興したもので、会津三十三観音の11番札所となっています。
山号 | 流古山 |
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院号 | - |
寺号 | 満蔵寺 |
住所 | 河沼郡会津坂下町束原字東1516 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
満蔵寺の縁起
満蔵寺の創建年代等は不詳ながら、文亀2年(1502)には源順という住僧がいたといい、明暦元年(1655)に日光山妙道院の門徒寺となったといいます。
新編会津風土記による満蔵寺の縁起
(塚原村)満蔵寺
(境内東西十二間、南北十七間、年貢地)村中ニアリ、天台宗、流古山ト号ス、創建ノ時代ヲシラス、文亀二年源順ト云僧住セリト云、明暦元年ヨリ下野国日光山妙道院ノ門徒トナル、本尊地蔵客殿ニ安ス
観音堂。境内ニアリ、会津三十三所順礼ノ一ナリ(新編会津風土記より)
満蔵寺所蔵の文化財
- 束原観音堂
束原観音堂
束原観音堂
観音堂は、元は集落の南にあったが、元禄15年(1702)に村西にあった満蔵寺とともにこの地に移し、再興したといわれている。
本尊の馬頭観音立像は「会津三十三観音」の中で唯一の馬頭観音であり、三面八臂で、像高50.8センチメートル、総高62.3センチメートルの木造である。台座に元禄15年(1702)と宝永元年(1704)の年号と、再興に関わったと思われる約50人の墨書銘がある。当地では行基の作と伝えられている。
御詠歌
昔より誰がたてそめしふるしきの 久しかるべき束の原かな(「極上の会津プロジェクト協議会”会津の三十三観音めぐり”ストーリー」掲示より)
満蔵寺の周辺図