吉例山徳勝寺。高吉観音堂
徳勝寺の概要
真言宗智山派寺院の徳勝寺は、吉例山と号します。徳勝寺の創建年代等は不詳ながら、慈覚大師草創とも伝えられ、文亀年間(1501-1504)に僧盛尊が中興したといいます。境内の観音堂は、元和7年(1621)に焼失したものの、その後観音像と共に再興、会津三十三観音4番です。
山号 | 吉例山 |
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院号 | - |
寺号 | 徳勝寺 |
住所 | 喜多方市豊川町米室高吉4415-1 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
徳勝寺の縁起
徳勝寺の創建年代等は不詳ながら、慈覚大師草創とも伝えられ、文亀年間(1501-1504)に僧盛尊が中興したといいます。境内の観音堂は、元和7年(1621)に焼失したものの、その後観音像と共に再興、会津三十三観音4番です。
「喜多方市史」による徳勝寺の縁起
徳勝寺(豊川町高吉)
豊川町高吉にある寺。『新編会津風土記』によると、文亀(一五〇一〜〇四)の頃、盛尊という僧が中興した寺。その後、慶意という僧が住んで、大町(会津若松市)一桂院の末寺となった。本尊は大日如来。境内に観音堂があり、十一面観音を安置していたが、元和七年(一六二一)に焼失し、今は新像が安置されていると記している。『会津鑑』は、この観音を千手観音の像とし、この地が慈覚大師草創の地と記している。観音は十一面千手であったか。(「喜多方市史」より)
「福島県耶麻郡誌」による徳勝寺の縁起
第四番高吉
豊川村字高吉吉例山徳勝寺境内に在り十一面觀音を安す元和七年火災に罹りて靈像焼失し新像を安す
かきわけて 参りてをかむ たかよしの ほとけのひかり 道そかゝやく(「福島県耶麻郡誌」より)
徳勝寺の周辺図
参考資料
- 「喜多方市史」
- 「福島県耶麻郡誌」