圓通山観音寺。長者の江川常俊が建立した佐布川観音
観音寺の概要
曹洞宗寺院の観音寺は、圓通山と号します。観音寺は、弘安2年(1279年)に建立したという観音堂の敷地に、月翁が寛永元年(1624)に開山したといいます。当寺観音堂は、佐布川観音と称され、長者の江川常俊が、文永2年(1265)に娘が逝去したのを悲しみ弘安2年(1279年)に建立したと伝えられ、県重要文化財に指定されています。
山号 | 圓通山 |
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院号 | - |
寺号 | 観音寺 |
住所 | 大沼郡会津美里町字宮ノ腰甲131 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
観音寺の縁起
観音寺は、弘安2年(1279年)に建立したという観音堂の敷地に、月翁が寛永元年(1624)に開山したといいます。当寺観音堂は、佐布川観音と称され、長者の江川常俊が、文永2年(1265)に娘が逝去したのを悲しみ弘安2年(1279年)に建立したと伝えられ、県重要文化財に指定されています。
「福島県大沼郡誌」による観音寺の縁起
觀音堂(曹洞宗)
田川村字佐布河にあり、圓通山と號し、尾岐窪村龍門寺の末寺にして、本尊は釋迦牟尼佛なり、寛永元年三月十五日、月翁の開山にて、同三年十月十五日創建、寺寶に延命地蔵尊、大権現大菩薩、達磨大師等あり、境内地四百十四坪六合二勺民有地なり、持添地田畑林等十八筆あり、
觀音堂
境内にあり、弘安二年六月十七日、江川長者常俊の建立に係り、本尊観音の像も常俊の彫刻なりと云ふ、傳によれば、常俊一女あり、文永十一年六月八日遂に病んで死す、常俊悲悼の餘り之を建つと云ふ、會式は八月四日之を行ふ、(「福島県大沼郡誌」より)
観音寺所蔵の文化財
- 木造十一面観音立像(県指定重要文化財)
境内掲示による観音寺の縁起
本像は、カツラ材で像高一九七・三cmあり、玉眼が入れられ頭体を通して前後二材を矧ぎ合わせた寄木造りと考えられる。像造された当初の金箔が残るが、肉身部の漆箔や衣の漆塗りの後補により詳しい構造はよくわからない。左手には華瓶を持ち、右手は垂下し掌を前に向け第一指(親指)をやや内に曲げその他の指は軽く伸ばしている。この姿は長谷寺式十一面観音の形相に似ている。
近くには根岸中田にある弘安寺の国指定銅造十一面観音立像も、元は右手に錫杖を持っていたものと推定される。伝説では、鎌倉時代この佐布川の地に江川常俊という長者がおり、本像と弘安寺の像を造立したと伝える。江戸時代の記録によると文永二年(一二六五)に観音堂が建立されたとあり、本像もおそらくこの時期の頃の作と考えられる。(会津美里町教育委員会掲示より)
観音寺の周辺図
参考資料
- 「福島県大沼郡誌」