護命山宝寿院。蓮華寺の一坊として創建
宝寿院の概要
真言宗豊山派寺院の宝寿院は、護命山と号します。宝寿院の創建年代等は不詳ながら、蓮華寺の一坊として創建、天正年間の戦乱により僧宝順が当地へ移したといいます。会津三十三観音めぐり14番下荒井観音堂の管理をされています。
山号 | 護命山 |
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院号 | 宝寿院 |
寺号 | - |
住所 | 会津若松市北会津町下荒井16 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
宝寿院の縁起
宝寿院の創建年代等は不詳ながら、蓮華寺の一坊として創建、天正年間の戦乱により僧宝順が当地へ移したといいます。
「北会津郡誌」による宝寿院の縁起
真言宗護命山宝寿院
荒井村下荒井ニアリ大和国長谷寺ノ末寺蓮華寺寺方坊ノ一ナリ天正ノ兵變後宝順ト云フ僧此ニ移セリトイフ地蔵尊ヲ本尊トス(「北会津郡誌」より)
宝寿院所蔵の文化財
- 元蓮華寺須美檀(会津若松市指定文化財)
元蓮華寺須美檀
蓮華寺は蘆名盛直の勧により康暦元年建立せる知行寺にして、六坊と十四ヶ寺の末寺を有し旺盛を極めた。白髪の洪水で荒廃したが、蒲生秀行の代五十石の地を賜るとともに飯豊神社の別当職を与え復興を計る。
明治初年廃寺となり学校、役場等に使用、明治十七年失火により消失する。
廃寺の際部落有志数名で須弥檀を買い受け、観音堂に納めたものであり、蓮華寺の往時を偲ぶ唯一の品である。
昭和五十四年宝寿院改築に際し当寺に移置す。(会津若松市教育委員会掲示より)
宝寿院の周辺図
参考資料
- 「北会津郡誌」
関連ページ
- 下荒井観音堂(-)
- 会津若松市北会津町下荒井