祥雲山善龍寺。西郷頼母一家の墓
善龍寺の概要
曹洞宗寺院の善龍寺は、祥雲山と号します。善龍寺は、徳川秀忠公の第四子保科肥後守正之公が寛永20年(1643)会津に移封した際、随従してきた僧泉海が、花畑に創建、その後現在地に移転したといいます。当寺には、西郷頼母一家の墓や、西郷千重子の辞世句碑があります。また、当寺山門は、寛政9年(1797)に建立された竜宮造で、市文化財に指定されています
山号 | 祥雲山 |
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院号 | - |
寺号 | 善龍寺 |
住所 | 会津若松市北青木13-33 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
善龍寺の縁起
善龍寺は、徳川秀忠公の第四子保科肥後守正之公が寛永20年(1643)会津に移封した際、随従してきた僧泉海が、花畑に創建、その後現在地に移転したといいます。当寺には、西郷頼母一家の墓や、西郷千重子の辞世句碑があります。
境内石碑による善龍寺の縁起
善龍寺
祥雲山善龍寺は寛永20年(1643)曹洞一派の泉海という僧が藩祖保科正之に従い花畑に建立、その後現在地に移った。本堂は戊辰戦争で戦火にあい焼失し、山門は寛文年中に建造され今もなお当時の面影を残している。
この寺には西郷頼母一家の墓があり、同邸内で自刃した西郷千重子の辞世の句を記した”なよ竹の碑”もあり、戊辰戦争の悲劇をとどめている。(境内掲示より)
「北会津郡誌」による善龍寺の縁起
曹洞宗祥雲山善竜寺
門田村黒岩ニアリ山形市長源寺ノ末寺ニシテ釈迦如来ヲ本尊トナス天正十八年寺号起リ之又明治元年ノ兵火ニ係リ未ダ再建セラレズ(「北会津郡誌」より)
善龍寺所蔵の文化財
- 善龍寺の山門(市指定文化財)
善龍寺の山門
この山門は寛政九年(一七九七)の建立とされ、竜宮門あるいは竜宮造りと呼ばれる珍しい様式であり、当地方ではほとんど例を見ない山門である。
楼上には高欄が巡らされ、朱塗りの痕跡がわずかに残っており、内部には西国三十三観音が安置されている。
入母屋銅板葺、二重軒、扇垂木造りで建立以来二百余年を経ているが、建立当時の原型を良くとどめている。(会津若松市教育委員会掲示より)
善龍寺の周辺図
参考資料
- 「北会津郡誌」