法紹山浄光寺。保科正之公の生母の菩提寺
浄光寺の概要
日蓮宗寺院の浄光寺は、法紹山と号します。浄光寺は、保科正之公に随従してきた僧日遵が、寛永20年(1643)に開山、万治3年(1660)当地へ移転したといいます。保科正之公の生母の菩提寺として、藩より寄進を受け、寺領100石を有した大寺でしたが、戊辰戦争により焼失、焼失を免れた鬼子母神堂を本堂に代用していたといいます。
山号 | 法紹山 |
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院号 | - |
寺号 | 浄光寺 |
住所 | 会津若松市宝町4-25 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
浄光寺の縁起
浄光寺は、保科正之公に随従してきた僧日遵が、寛永20年(1643)に開山、万治3年(1660)当地へ移転したといいます。保科正之公の生母の菩提寺として、藩より寄進を受け、寺領100石を有した大寺でしたが、戊辰戦争により焼失、焼失を免れた鬼子母神堂を本堂に代用していたといいます。
「若松市史」による浄光寺の縁起
法華浄光寺
法紹山と號し、天寧寺町にあり。本山は甲斐身延山久遠寺なり。日遵といふ僧、正之公に随伴して信濃高遠より出羽最上を經、寛永二十年ここに来りて開山し、萬治三年三世日然今の地に移る。維新前は壮厳巨宏にして寺領百石を有したりしが、戊辰の兵變に焼亡し、當寺寺門の傍にありて兵變を免かれたる鬼子母神堂を以て假本堂とす。堂は、土津公の寄進にかかるものなりといふ。寺寶に、正之公の寄進に係れる。釋迦木像一軀、及び鬼子母神像一軀並に榮壽院筆法華題目一幅あり。(「若松市史」より)
浄光寺の周辺図
参考資料
- 「若松市史」