開成山大神宮。延喜式内社
開成山大神宮の概要
開成山大神宮は、郡山市開成にある神社です。開成山大神宮は、明治維新後の殖産興業政策により、荒地だった当地一帯の開拓が明治6年により開始、開拓民の融和を計るため明治9年に伊勢神宮の分霊を奉遷して創建、県社に列格していました。「みちのくのお伊勢さま」と称されています。
社号 | 開成山大神宮 |
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祭神 | 天照大御神、豊受大神、神倭伊波禮彦 |
相殿 | - |
境内社 | 桑野宮、稲荷神社、祖霊社 |
祭日 | - |
住所 | 郡山市開成3-1-38 |
備考 | - |
開成山大神宮の由緒
開成山大神宮は、明治維新後の殖産興業政策により、荒地だった当地一帯の開拓が明治6年により開始、開拓民の融和を計るため明治9年に伊勢神宮の分霊を奉遷して創建、県社に列格していました。「みちのくのお伊勢さま」と称されています。
境内掲示による開成山大神宮の由緒
明治6年(1873年)、大槻原(郡山市開成地区)開墾が始まった頃、習俗の異なった人々の融和や慰安の場所として遥拝所が設けられました。明治9年(1876年)には伊勢神宮の御分霊が奉遷され、「開成山大神宮」となりました。現在は「みちのくのお伊勢さま」と称されています。
明治12年(1879年)に安積疎水事業の起業式が行われ、内務卿伊藤博文らが臨席されました。3年後の明治15年(1882)に安積疎水は完成し、通水式には、右大臣岩倉具視、大蔵卿松方正義、農商務卿西郷従道など政府高官が臨席して通水を祝しました。(日本遺産「一本の水路」プロモーション協議会掲示より)
「安積郡誌抄」による開成山大神宮の由緒
開成山大神宮(附)安積疎水並競馬場
明治九年典事中条政恒等新来の移住民をして敬神愛国の念を養ひ以て饗ふ所あらしめんと欲し離森を開成山と名つけ安積郡民の遥拝所と定め春秋二回郡典を挙行せり其後開成山を以て社地と定め遥拝所を改めて神座となし此処に神を祀らんと欲し神社建設の運動に着手し明治九年九月遂に県社開成山太神宮の遷宮式の挙行を見るに至れり祭神は伊勢大廟の分霊に養蚕国神社宮崎神社を合祀し県社と仰きたり境内鬱蒼として神威殊に厳なり
安積疎水起工式或は明治十二年十月二十七日開成山太神宮の社前に於て猪苗代湖疎水開鑿起工式を挙け内務公卿伊藤博文勧農局松方正義福島県令渡辺清之に臨む同十五年十月一日同社前に於て右通式及奉告祭の挙式あり右大臣岩倉具視勅を奉じて臨場宮内卿徳大寺実則大蔵卿松方正義農商務卿西郷従道其他地方長官之れに列す
明治九年六月十五日 明治天皇御巡幸の次本村に行幸あらせられ開成館を以て行在所に充てらる参事山吉盛典権参事中条政恒を召し開墾の状を垂問し給ひ深く開拓の功を嘉せられて金幣を賜ふ駅を駐め給ふこと二日聖駕に先んじ大久保内務卿来て大槻原開拓の実況を視察せらる権参事中条政恒其開拓の顛末を開陳す
明治十四年十月五日 明治天皇北巡環幸の時特に本村に駅と駐め給ひ再度開成館を以て行材所に充てらる此日久留米開墾社の開拓地大蔵担原に臨御あり大木参議を以て聖諭を伝へられ農具料として金壱千円を移住士族に賜ふ(「安積郡誌抄」より)
開成山大神宮の周辺図
参考資料
- 「安積郡誌抄」