多珂神社。延喜式神名帳式内社、鷹明神
多珂神社の概要
多珂神社は、南相馬市原町区高にある神社です。多珂神社の創建年代等は不詳ながら、日本武尊が東国平定に際して勧請したと伝えられ、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳所載の「多珂神社」に比定されます。中世には衰廃し小高に遷座、相馬氏の崇敬を受けていました。明治初年に再びもとの高地内(鷹明神社地)に遷座、明治維新後の社格制定に際し明治6年郷社に列格、昭和19年には県社へ昇格していました。
社号 | 多珂神社 |
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祭神 | 大国主大神、少彦名大神 |
相殿 | - |
境内社 | 弁天様・天神様・田の神様 |
祭日 | 大祭4月8日 |
住所 | 南相馬市原町区高字城の内112 |
備考 | - |
多珂神社の由緒
多珂神社の創建年代等は不詳ながら、日本武尊が東国平定に際して勧請したと伝えられ、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳所載の「多珂神社」に比定されます。中世には衰廃し小高に遷座、相馬氏の崇敬を受けていました。明治初年に再びもとの高地内(鷹明神社地)に遷座、明治維新後の社格制定に際し明治6年郷社に列格、昭和19年には県社へ昇格していました。
「原町市史」による多珂神社の由緒
本社は延喜式明神帳に載せられた行方八社の一つで、大社に位した神社である。大昔宮殿は荘厳え、祭典等の盛んなものだったといわれている。
中世には衰廃し小高に遷座され相馬氏の尊崇が厚かった。明治の初年に再びもとの高地内(鷹明神社地)に遷座されたのであった。
本社の創建はつまびらかではない。承応四年に修理が行われ、その後元禄中の藩主昌胤のときに建造され、享保九年(一七二七)社殿一石を寄せられ、文化四年(一八〇七)神殿および拝殿幣殿を建て替え、その後も再度の修繕がなされている。明治四十五年四月本殿拝殿及び幣殿の新築なり、境内総坪三百七十坪、杉檜樫等の古木うっそうとして神域壮厳をきわめている。(「原町市史」より)
多珂神社の周辺図
参考資料
- 「原町市史」