二本松城跡。奥州探題畠山満泰が築城、二本松藩丹羽家の居城
二本松城跡の概要
二本松城跡は、二本松市郭内にある名所旧跡です。二本松城跡は、奥州探題畠山満泰が15世紀前半に築城したと伝えられ、寛永20年(1643)に丹羽光重が二本松藩主として入城、10年余りの歳月を費やして整備しています。
名称 | 二本松城跡(霞ヶ城) |
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区分 | 国指定史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 二本松市郭内、郭内公園 |
備考 | - |
二本松城跡の由緒
二本松城跡は、奥州探題畠山満泰が15世紀前半に築城したと伝えられ、寛永20年(1643)に丹羽光重が二本松藩主として入城、10年余りの歳月を費やして整備しています。
境内掲示による二本松城跡の由緒
史跡二本松城跡
二本松城跡は、15世紀前半、畠山氏の居城として築城されたといわれています。その後、伊達・蒲生・上杉・松下・加藤と城主がかわり、寛永20年(1643)に丹羽光重が二本松藩10万700石で入城し、以後、丹羽氏の居城として明治維新を迎えました。
発掘調査によって、各時代の遺構が見つかり、さらに近世城郭への大規模な改修が寛永4~20年(1627~1643)の加藤氏時代に行われたことも判明しました。
二本松城跡は中世城館と近世城郭が同一箇所で営まれ、かつその変貌がよくわかる、東北地方を代表する城跡です。(二本松市教育委員会掲示より)
境内掲示による二本松城跡の由緒
二本松御城郭全図(旧二本松藩主・丹羽家所蔵)
寛永20年(1643)、10万700石二本松藩初代藩主として入府した丹羽光重は10年余の歳月を費やし、それまで雑居状態にあった市街地を、東西に走る丘陵「観音丘陵」を境に、内側(上方)を郭内として城内施設や武家屋敷割りなどの整備、外側(下方)には城下町・社寺などを移設する整備を行いました。
この「二本松御城郭全図」は、江戸時代末期の二本松城および城下町の様相がわかる貴重な絵図で、本城(本丸)や三ノ丸御殿をはじめ、石垣・門・長屋・蔵・馬場など各施設配置や郭内屋敷割り、城下町割り。社寺配置が詳しく描かれています。現在の市街地と比べても町割りや主要道路などには大差がありません。(境内掲示より)
二本松城跡の周辺図
参考資料
- 「福島県町村誌」