赤塚八幡神社|大堂の守護神、下赤塚村の鎮守
赤塚八幡神社の概要
赤塚八幡神社は、板橋区赤塚にある八幡神社です。赤塚八幡神社の創建年代は不詳ですが、隣接する大堂の守護神として創建されたといわれ、古墳の上に鎮座しています。下赤塚村の鎮守でした。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 品陀別命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社 |
住所 | 板橋区赤塚6-40 |
備考 | 大堂の守護神、下赤塚村鎮守 |
赤塚八幡神社の由緒
赤塚八幡神社の創建年代は不詳ですが、隣接する大堂の守護神として創建されたといわれ、古墳の上に鎮座しています。下赤塚村の鎮守でした。
新編武蔵風土記稿による赤塚八幡神社の由緒
(下赤塚村)八幡社
側に古木一株あり、永禄兵火の時本尊の阿弥陀火中より出現して止る處と云(板橋区教育委員会掲示より)
板橋区教育委員会掲示による赤塚八幡神社の由緒
御祭神品陀別命。創建年代は不詳であるが、当社は隣接する大堂の守護神として創建されたといわれ、古墳の上に建てられている。暦応3(1340)年に鋳造された大堂の梵鐘の銘文によると、大堂は建武(1334-38)の頃隆盛であったことが明らかであるから、当社もこの頃にはすでに創建されていたものと思われる。御神体として木造の騎上八幡像が安置されていたと伝えられている。江戸時代には下赤塚村の一部の鎮守であった。 神社の後方にある欅の大木は、八百年以上を経過したものと考えられる。(板橋区教育委員会掲示より)
「いたばしの神社」による赤塚八幡神社の由緒
創立年月不詳。本社は古墳上に建てられている。裏の樺の大木(現在は株のみ)は八百年以上を経過したものと思われる。傍にある大堂の梵鐘は暦応三年(一三四〇)の鋳造で、その銘に「両寺(泉福・真福)は前期全盛の時建つるところ・・・」とあることから、大堂は既に建武朝の頃は隆盛であつめたことは明らかである。さすれば八幡神社も寺院の守護神の形として、この頃には創建されていたことであろう。平安末期から鎌倉期にかけては「八幡社」の創建が諸国に盛んであったので、本社もその頃であろうか。ご神体は騎上八幡の木造が安置されたと伝えられている。(「いたばしの神社」より)
東京都神社名鑑による赤塚八幡神社の由緒
不詳。隣接地に大堂松月院という曹洞宗の寺院があり、開基は千葉介自胤、或いは千葉介が奉斎したものと思われるが、確実には判定できない。社殿は永らく放置してあり、非常に廃毀したので、崇敬者一同協力、寄付金をもって昭和九年八月銅板葺三坪の社殿を再建。(東京都神社名鑑より)
赤塚八幡神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「いたばしの神社」
- 東京都神社名鑑