舟渡氷川神社|舟渡町の鎮守として昭和41年設立
舟渡氷川神社の概要
舟渡氷川神社は、板橋区舟渡にある神社です。舟渡氷川神社は、土地区画整理により成立した舟渡町の鎮守として昭和41年設立したといいます。当地には「十度宮」と呼ばれる石祠が往古から祀られ、「万冶2年(1659)6月15日」の刻銘があることから、江戸時代には祀られていたものと推定されます。
社号 | 舟渡氷川神社 |
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祭神 | 須佐之男命、奇稲田姫命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 板橋区舟渡2-18-2 |
備考 | 十度の宮、旧別当:南蔵院末金剛院 |
舟渡氷川神社の由緒
舟渡氷川神社は、土地区画整理により成立した舟渡町の鎮守として昭和41年設立したといいます。当地には「十度宮」と呼ばれる石祠が往古から祀られ、「万冶2年(1659)6月15日」の刻銘があることから、江戸時代には祀られていたものと推定されます。
新編武蔵風土記稿による舟渡氷川神社の由緒
(蓮沼村)氷川社三
一は村の鎮守、一は蓮沼・根葉二村の鎮守、共に南蔵院持、一は金剛院にて古へ村内西南の方にありしが、数度の洪水に押流され今の処に流寄こと十度なりしかば、爰に塚を築榎を植て社を移す、土人今も十度の宮とも称せり。(新編武蔵風土記稿より)
板橋区教育委員会掲示による舟渡氷川神社の由緒
御祭神 須佐之男命、奇稲田姫命。
この舟渡の地には、往古より十度宮と呼ばれる石祠が祀られていた。十度宮の名称は、洪水のために何度も流されながら十度この地(現舟渡2-8)に戻ってきたという伝承による。この石祠の正面には「奉修造立氷川大明神御神宝前」、また左面には「万冶2年(1659)6月15日」と刻まれている。ところが、昭和8年頃中山道の改修工事の際この石祠は、蓮根氷川神社内に移された。
昭和20年土地区画整理により、志村と戸田橋の間に舟渡町が誕生した。昭和38年になると土地の住民から神社建設の声が起こり、氏子会が結成されると、当地に社殿を建設し、境内の整備が図られた。翌年には十度宮を当地に遷座している。昭和41年5月神社本庁統理の承認を得て、舟渡の氷川神社が創立された。(板橋区教育委員会掲示より)
十度の宮の由来について
この舟渡の地には、昔から「十度の宮」といわれた笠塔婆型の石祠が祀られていた。
「十度の宮」の語源について「新編武蔵風土記稿」に「古へ村内西南の方にありしが、爰に塚を築き榎を植えて社を移す。土人今も「十度の宮と称えり」とある。
この石祠は洪水のため何度も流されていたが、十度この地(現在舟渡2-8付近)に戻ってきたので、其名が生まれたといわれている。
「十度の宮」の石祠
右面、万冶2巳亥年6月15日
西南、奉修造立氷川大明神御堂前
左面、寛保3発亥年12月吉日造立、武州豊島郡蓮沼村別当金剛院(境内掲示より)
「いたばしの神社」による舟渡氷川神社の由緒
昭和四十一年五月十三日神社本庁統理承認、同四十一年七月三十日東京都知事認承第六八二七。昭和二十年土地区画整理後、志村橋より戸田橋の間に舟渡町が誕生したが、そこの住民の要望により氷川神社が設立されたのである。(「いたばしの神社」より)
東京都神社名鑑による舟渡氷川神社の由緒
万治二年(一六五九)に建立した氷川大明神の石祠があって、この地の人びとが崇敬していた。荒川の洪水により、数度にわたって流されたので「十度の宮」と称せられた。昭和十九年土地区画整理により、志村橋と戸田橋間に舟渡町が誕生、神社建設の議起こり、昭和三十八年に至り、氏子会を結成。区画整理組合より交付された土地に社殿を建設、境内の整備を行なう。昭和四十一年五月十二日付にて、神社本庁統理の承認を得て、神社を設立した。(東京都神社名鑑より)
舟渡氷川神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「いたばしの神社」
- 東京都神社名鑑