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中台稲荷神社|板橋区若木の神社

中台稲荷神社の概要

中台稲荷神社は、板橋区若木にある稲荷神社です。中台稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、かつて当地に稲荷大神が降臨したと伝えられることから当地周辺が「トウカ渡(稲荷渡)」と呼ばれており、江戸時代には稲荷社として旧中台村の鎮守社となっていました、明治7年には村社に列格しています。(※トウカ渡について、新編武蔵風土記稿には記載がありません)

中台稲荷神社
中台稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 保食命
相殿 -
境内社 御嶽神社
祭日 例祭日9月14日
住所 板橋区若木1-13-1
備考 -



中台稲荷神社の由緒

中台稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、かつて当地に稲荷大神が降臨したと伝えられることから当地周辺が「トウカ渡(稲荷渡)」と呼ばれており、江戸時代には稲荷社として旧中台村の鎮守社となっていました、明治7年には村社に列格しています。(※トウカ渡について、新編武蔵風土記稿には記載がありません)

新編武蔵風土記稿による中台稲荷神社の由緒

(中臺村)
稲荷社二
一は村の鎮守なり、共に延命寺持下並に同じ(新編武蔵風土記稿より)

板橋区教育委員会掲示による中台稲荷神社の由緒

稲荷神社
神社の創立年代は不詳です。当社の境内地は、稲荷大神が降臨した場所と伝えられ、「稲荷渡」と呼ばれていました。
江戸時代は、中台村の鎮守で、延命寺(中台三丁目)がその別当(管理者)にあたっていました。
神社に伝わる「四季農耕図絵馬」は、明治十八年(一八八五)氏子の中台東組によって奉納されたもので、一年間の農作業の様子が「田の荒起し」から「代かき」「苗とり」…稲の収穫後の「まつり」まで順次描かれています。江戸時代から明治時代にかけての付近の農家の暮らしぶりが分かる貴重な資料として、昭和五十九年、区の有形文化財に指定されました。(板橋区教育委員会掲示より)

「いたばしの神社」による中台稲荷神社の由緒

創立年月不詳。明治前神仏習合時代は延命寺が別当職で、豊島郡中台村の鎮守として崇められて今日に至る。明治六年酉一月志村熊野神社の祠掌兼勤となり、同七年甲戌四月二日村社に定められた。昭和二十一年六月神社本庁の所属となり同二十七年十月東京府知事の認証により法人格となる。(「いたばしの神社」より)

東京都神社名鑑による中台稲荷神社の由緒

創立年代は不詳であるが、古伝によれば志村峡田三台のうち、中台の小字「トウカ渡」に稲荷大神が降臨したと伝えられ、旧志村中台村の鎮守として、尊崇の中心となり今日に至る。文安五年(一四四八)志村城の土豪の地侍が中台を支配していた。その名前「中岱殿」と「中岱南殿」の名で紀州熊野大社に初穂料を納入した目録と、寛文二年(一六六二)の「水帳」には境内除地三八〇坪と記載されている文献でも明らかである。古くから現板橋区中台、若木、相生町の産土神と崇められていた。(東京都神社名鑑より)


中台稲荷神社所蔵の文化財

  • 四季農耕図絵馬(板橋区指定文化財)
  • 稲荷神社のムク(板橋区登録天然記念物)

稲荷神社のムク

稲荷神社のムク(板橋区登録天然記念物)
樹種、むく(ニレ科)。樹高、約二十五メートル。目通り、約四百六十センチメートル。根回り、約五百八十センチメートル。樹齢、不明。
このムクは「稲荷越の大木」と呼びならわされて、中山道と川越街道を結ぶ間道の目標ともなり地域の人々に親しまれてきた。また航空路の目標として、白十字のしるしを頭上高くかかげていた時期もあった。
現在の樹姿は上部の枝が切られ、自然樹形はそこなわれているが、直立する主幹は堂々としている。
ムクの木は、最近都市近郊ではあまり見られなくなった樹種で、関東以南の暖地のやや湿り気の多い地に自生する。このような樹種の巨木が残っていることは珍しい。
平成六年度、板橋区登録文化財の天然記念物(名木・巨樹・老樹等)とした。(板橋区教育委員会掲示より)


中台稲荷神社の周辺図