豊敬稲荷神社|明治初期に市神様として創祀、板橋天祖神社の境外末社
豊敬稲荷神社の概要
豊敬稲荷神社は、板橋区弥生町にある稲荷神社です。豊受稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、江戸末期から明治初期に市神様として祀られたものと推定されるといいます。現在は板橋天祖神社の境外末社となっています。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 宇迦之御魂神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 板橋区弥生町12-10 |
備考 | - |
豊敬稲荷神社の由緒
豊受稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、江戸末期から明治初期に市神様として祀られたものと推定されるといいます。現在は板橋天祖神社の境外末社となっています。
境内石碑による豊敬稲荷神社の由緒
豊敬稲荷神社玉垣建設記念
抑々 豊敬稲荷の建設は江戸末期から明治の初期と思はれる。當時市神様として崇められていたが時代の変ると共に一民家の隅に遷つされていたが福本芳太大人が當地に赴任爾来敬神の念に厚い大人が本稲荷を発見調査の結果この様な地に存置すべきでないと自ら土地を境内地として購入祠宇を始め附属建物を工築し現在の地に御遷座名稱も豊敬稲荷と命名さる。併而昭和二十八年六月二十一日芳太郎大人他界の後も福本倫三氏は大人の意思を承継し其後神輿庫の新設に伴ない祠宇の見劣は勿論破損放置は亡父の意に反すつことを痛感し祠宇の改築を計画弟博次氏並びに役員一同と協議し一般崇敬者の協力を得て施工を加瀬工務店に委ね昭和三十六年一月起工爾後卓越せる技術と努力にて昭和三十七年六月竣工同年七月四日の吉日を撰び境内地を含め天祖神社総代稲荷神社役員参列のもとに竣工奉祝祭を執行後工作物及び境内地を含め天祖神社に奉献後昭和四十二年十月二十一日倫三氏髙井松子夫人稲荷神社奉賛会長となり副会長及び世話人と協力を計り境内整備に力を注ぐ今回玉垣建設も会長崇敬者に依り完成するものなり、依而後世の為に記す
天祖神社宮司小林猛男(境内石碑より)
「いたばしの神社」による豊敬稲荷神社の由緒
天祖神社(南常盤台)
境外末社
弥生町一二-一〇豊敬稲荷神社
御祭神 宇迦之御魂神(「いたばしの神社」より)
豊敬稲荷神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「いたばしの神社」