京徳観音堂|旧教徳寺の持堂
京徳観音堂の概要
曹洞宗寺院の京徳観音堂は、板橋区西台にある観音堂です。京徳観音堂の創建年代等は不詳ですが、近在にあった新義真言宗水想山教徳寺(京徳寺)の持堂であったといい、明治5年京徳寺が廃寺となったことに伴い、圓福寺が管理する境外堂となったといいます。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | 観音堂 |
住所 | 板橋区西台3-53-21 |
本尊 | 聖観音坐像 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
京徳観音堂の縁起
京徳観音堂の創建年代等は不詳ですが、近在にあった新義真言宗水想山教徳寺(京徳寺)の持堂であったといい、明治5年京徳寺が廃寺となったことに伴い、圓福寺が管理する境外堂となったといいます。
板橋区教育委員会掲示による京徳観音堂の縁起
京徳観音堂
宗派曹洞宗で、ご本尊は聖観音坐像です。
江戸時代、この近在に新義真言宗の水想山教徳寺(京徳寺)があり、観音堂はその教徳寺の持堂でした。明治五年(一八七二)、同寺が廃寺となると、圓福寺が管理する境外堂となり、現在に至っています。
創建は不明ですが、本堂に架かる「武州豊島郡西台村教徳寺」との銘文がある鰐口が延宝三年(一六七五)の作であること、ご本尊までは遡ると考えられます。
境内の墓地には、「道用」と「性阿弥陀仏」が自身の死後の冥福を祈って延文六年(一三六一)七月十三日に建立した宝篋印塔二基があります。これらは、観音堂の創建以前に当所に仏教施設が存在していたことをうかがわせる資料です。
また、貞享三年(一六八六)に死亡した寄合旗本の井上正昭とその子で貞享元年に死亡した井上正員の墓もあります。理由は判然としませんが、井上家で教徳寺へ葬られたのは、正昭・正員父子のみなので、正昭と教徳寺とが深い関係にあったことがうかがえます。
この宝篋印塔と井上父子の墓は共に昭和六十二年度に板橋区の登録有形文化財となりました。 (板橋区教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による京徳観音堂の縁起
(西台村)京徳寺
新義真言宗多磨郡中野村宝仙寺末水想山と号す本尊不動。
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観音堂
京徳寺持(新編武蔵風土記稿より)
京徳観音堂所蔵の文化財
- 宝篋印塔(板橋区登録文化財)
- 井上正昭・正員父子の墓(板橋区登録文化財)
京徳観音堂の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿