挙一山長徳寺|豊島八十八ヶ所、北豊島三十三ヶ所
長徳寺の概要
真言宗豊山派寺院の長徳寺は、挙一山遍照院と号します。長徳寺は、開鎌倉時代初期に中興開山されたと伝えられていますが詳細不詳です。豊島八十八ヶ所霊場14番札所、北豊島三十三ヶ所霊場14番札所です。
山号 | 挙一山 |
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院号 | 遍照院 |
寺号 | 長徳寺 |
住所 | 板橋区大原町40-7 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 豊島八十八ヶ所霊場14番札所、北豊島三十三ヶ所霊場14番札所 |
長徳寺の縁起
長徳寺は、開鎌倉時代初期に中興開山されたと伝えられていますが詳細不詳です。
板橋区教育委員会掲示による長徳寺の縁起
宗派は真言宗豊山派で、挙一山遍照院長徳寺と号し、御本尊は不動明王です。
鎌倉時代初期に中興開山されたと伝えられていますが、いくどか火災にあっているので、江戸時代初期以前のことはよくわかりません。江戸時代後期に書かれた新編武蔵風土記稿には、寛保3年(1743)に鋳造された鐘があったことが記されています。また、かつては大日如来像が御本尊で、子育大日尊として信仰を集めていました。しかし、これらは昭和20年4月13日の空襲によって、本堂とともに焼失してしまいました。
当寺には、区内で一、二を競う古い仏像があります。平安時代末につくられたもので、平泉の中尊寺に由来すると伝えられる阿弥陀如来の木像です。戦後の再建時に受け入れられました。この仏像は平成4年度に板橋区の有形文化財に指定されています。
また、境内には、さまざまな石仏や力石が数多く残されています。
いたばしの寺院による長徳寺の縁起
開基開山不詳、後鳥羽天皇建仁年間の行慈阿闍梨は中興開山といわれ、運慶作の胎蔵界大日如来が本尊とされていたが、慶長5年の大火に遭い、次いで昭和20年4月13日の戦災により諸堂宇とともに焼失してしまった。これより前、本堂は明治32年5月に大改修が行われていたのであった。昭和38年11月に本堂、書院、庫裡等が再建され同55年11月に山門が再建され今日に及ぶ。(いたばしの寺院より)
新編武蔵風土記稿による長徳寺の縁起
新義真言宗、多摩郡中野村宝仙寺末、挙一山遍照院と号す、大日を本尊とす、鐘楼、寛保3年鋳造の鐘をおく。(新編武蔵風土記稿より)
長徳寺所蔵の文化財
- 長徳寺阿弥陀如来木像(板橋区文化財)
長徳寺の周辺図