補陀落山万福寺|板橋区弥生町
万福寺の概要
真言宗豊山派寺院の万福寺は、補陀落山と号します。万福寺は、権大僧都法印覚雲(慶安4年1651年寂)が開山、江戸時代末期より無住となってしまったといいます。
山号 | 補陀落山 |
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院号 | - |
寺号 | 万福寺 |
住所 | 板橋区弥生町73-10 |
本尊 | 薬師如来 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
万福寺の縁起
万福寺は、権大僧都法印覚雲(慶安4年1651年寂)が開山、江戸時代末期より無住となってしまったといいます。
いたばしの寺院による万福寺の縁起
創建は明らかにしないが、開山の法印覚雲が慶安四年(一六五一)に入寂しているので、今から三百四・五十年前の開創であろう。新編武蔵風土記稿の完成のころ(天保元年・一八三〇)までは在住僧の寺院であったらしい。その後、文政六年(一八二三)の上板橋村地誌書上帳には無住、西光寺兼帯と記載されてある。上板橋宿唯一の寺ではあるが、幕末には既に無住で西光寺の管理に入り、明治初年の「真言宗寺院書き上げ」にもその名は見ることはできない。(いたばしの寺院より)
新編武蔵風土記稿による万福寺の縁起
(上板橋村)萬福寺
同門徒(新義眞言宗多磨郡中野村寶仙寺)補陀落山と號す本尊薬師外に弘法大師作の地蔵一軀、又大日不動閻魔を置、開山覺雲慶安四年六月二十四日寂、(新編武蔵風土記稿より)
板橋区教育委員会掲示による万福寺の縁起
当寺は真言宗豊山派にして、補陀落山万福寺と称し、恩本尊は薬師如来である。
創建年代は不詳であるが、開山の法印覚雲が慶安四(一六五一)年に入寂しているので、それ以前の開創と思われる。
文政六(一八二三)年の「上板橋村地誌書上帳」には無住、西光寺兼帯と記されている。上板橋宿唯一の寺であったが、無住のため旅僧の仮宿などになっていたと考えられる。
本堂には弘法大師作と伝えられる木像が安置されている。また、墓地には昭和初期に神田から植え板橋宿へ「祭り囃子」を伝えた石田滝蔵の墓碑がある。(板橋区教育委員会掲示より)
万福寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「いたばしの寺院」