於玉稲荷神社|繁栄お玉稲荷大明神を勧請、本社が当社へ遷座
於玉稲荷神社の概要
於玉稲荷神社は、葛飾区新小岩にある稲荷神社です。於玉稲荷神社は、千代田区岩本町繁栄お玉稲荷大明神を勧請して創建されました。本社の繁栄お玉稲荷大明神が安政2年の大震火災で焼失したため、明治4年に本社を当地へ遷座しました。
社号 | 於玉稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
例祭日 | 5月3日 |
住所 | 葛飾区新小岩4-21-6 |
備考 | - |
於玉稲荷神社の由緒
於玉稲荷神社は、千代田区岩本町繁栄お玉稲荷大明神を勧請して創建されました。本社の繁栄お玉稲荷大明神が安政2年の大震火災で焼失したため、明治4年に本社を当地へ遷座しました。
於玉稲荷神社御由緒
御祭神は稲荷大明神と称えられる倉稲魂命で、伊勢の外宮(とようけのかみ)と御同神です。
「稲荷」とは、天地の霊を象徴し、古来より食物の神、即ち五穀豊穣の神として広く崇敬されてきました。時代とともに産業興隆や商売繁盛、さらに家内安全、交通安全や芸能上達などのご利益もあるとされ、広く人々の信仰を集めております。
当地「小松の里」はむかし将軍様の鷹狩りの地として知られております。古地図で見ると、この地に「おたまいなり」の所在が記されていますが、古くは御分社でありました。当神社は、このゆかりの社に、安政2年の大震火災で焼失した神田お玉ヶ池の御本社(千代田区岩本町繁栄お玉稲荷大明神)を明治4年に移したものであります。
お玉ヶ池の稲荷神社の沿革については「新撰東京名所図会」神田之歩所引の於玉稲荷大神の由来に述べられているように長禄元年太田道灌の崇敬をはじめ、寛正元年足利義政公の祈願、さらには文禄四年伊達政宗公の参詣等が記されております
於玉稲荷神社の周辺図