繁栄お玉稲荷大明神|お玉が池のほとりに勧請した稲荷神社
繁栄お玉稲荷大明神の概要
繁栄お玉稲荷大明神は、近隣にあったお玉が池のほとりに勧請した稲荷神社です。太田道灌の崇敬をはじめ、寛正元年足利義政公の祈願、さらには文禄四年伊達政宗公の参詣等多くの崇敬を集めていました。安政2年の大震火災で焼失し、分社のあった葛飾区新小岩於玉稲荷神社へ本社を遷座しました。
社号 | 繁栄お玉稲荷大明神 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 千代田区岩本町2-5-13 |
備考 | - |
繁栄お玉稲荷大明神の縁起
繁栄お玉稲荷大明神は、近隣にあったお玉が池のほとりに勧請した稲荷神社です。太田道灌の崇敬をはじめ、寛正元年足利義政公の祈願、さらには文禄四年伊達政宗公の参詣等多くの崇敬を集めていました。安政2年の大震火災で焼失し、分社のあった葛飾区新小岩於玉稲荷神社へ本社を遷座しました。
境内掲示による繁栄お玉稲荷大明神の縁起
この辺りに昔、お玉が池という池がありました。江戸の初めには不忍池よりも大きかったといわれますが、徐々に埋め立てられ姿を消したといいます。最初、桜が池と呼ばれましたが、ほとりにあった茶店のお玉という女性が池に身を投げたとの故事から、お玉が池と呼ばれるようになったといいます。(境内掲示より)
繁栄お玉稲荷大明神の周辺図