直指山見性寺|江戸時代初期の創建
見性寺の概要
曹洞宗の見性寺は、直指山と号します。元和6年(1620)対州舜境が創建、その後江戸深川慧然寺(現寒光寺)を開山した碩分により中興されたと伝えられます。
山号 | 直指山 |
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院号 | - |
寺号 | 見性寺 |
住所 | 葛飾区亀有5-54-25 |
本尊 | 聖観世音菩薩坐像 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | ペット供養可能 |
見性寺の縁起
見性寺は、元和6年(1620)対州舜境が創建、その後江戸深川慧然寺(現寒光寺)を開山した碩分により中興されたと伝えられます。
葛飾区寺院調査報告による見性寺の縁起
元和6年(1620)対州舜境創立、開基は亀有の郷士佐久間弥右衛門。その後、一時荒廃したが、江戸深川慧然寺(現寒光寺)の開山別伝宗分(1598-1668)が中興した。「続東国高僧伝」によれば、宗分が葛西の地に到った時、早天を憂えた民が師に祈雨を請うた。よって宗分は「天草数日草木枯 世界人民悩心意 竜王垂慈下雨来 洗衆生苦大洪水」の偈を神竜に授けたところ、忽ち車軸の如き雨が降ったという。天明6年(1786)当寺10世白瑞文圭が本堂を再築した。現在の建物は昭和33年の改築である。境内に正岡子規の句碑がある。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
新編武蔵風土記稿による見性寺の縁起
見性寺
禅宗曹洞派、江戸浅草松源寺末、直指山と号す。本尊正観音は坐像にして長2尺、春日の作。開山対州舜鏡和尚、村民弥右衛門と謀りて元和6年当寺を草創し、明暦2年2月22日寂す。中興を宗分とす、寛文8年7月24日寂す。此僧硯徳にして功あるをもて中興と称すと云。(新編武蔵風土記稿より)
見性寺所蔵の文化財
- 宝篋塔
見性寺の周辺図