慧然寺|江東区深川にある臨済宗円覚寺派寺院

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三聖山慧然寺|徳川家康の孫相光院殿清浄了然大姉が開基

慧然寺の概要

臨済宗円覚寺派寺院の慧然寺は三聖山と号します。慧然寺は、別傳和尚が開山、徳川家康の孫相光院殿清浄了然大姉が開基となり、寛永10年(1633)に赤坂に雲巌寺として創建したといいます。寛文元年(1661)当地に移転し廬村寺と改称、その後恵然寺と改称、明治2年(1869)寒光寺と改称、近年旧称の「慧然寺」に復しています。

寒光寺
寒光寺の概要
山号 三聖山
院号 -
寺号 慧然寺
住所 江東区深川2-22-11
宗派 臨済宗円覚寺派
葬儀・墓地 墓地受付中
備考 坐禅会開催



慧然寺の縁起

慧然寺は、別傳碩分和尚が開山、徳川家康の孫相光院殿清浄了然大姉が開基となり、寛永10年(1633)に赤坂に月桂寺末雲巌寺として創建したといいます。寛文元年(1661)当地に移転し廬村寺と改称、その後恵然寺と改称、明治2年(1869)寒光寺と改称、近年慧然寺に復しています。開山の別傳碩分和尚は、原町法身寺・亀有祥雲寺を開山、亀有見性寺を中興した名僧です。

江東区の民俗深川編による慧然寺の縁起

寒光寺
寛永一〇年(1633)創建、開山は碩分和尚。初めは赤坂に創建され不識山雲巌寺と号し、寛永七年に深川蘆村(現在地)に移り蘆村寺と称し、その後、三聖山恵然寺と改め、安政年中僧月洲が堂宇を再建し、明治二年(1869)に現在の名に改めたという(「新撰東京名所図会」)。改称の理由として、当時、皇室に恵の字のつく方がいるからと改称を迫られ、恵然寺の塔頭寒江庵からその名をつけたという(「寺社めぐり35」)。(江東区の民俗深川編より)


慧然寺所蔵の文化財

  • 紙本墨画達磨像(江東区登録文化財)
  • 石造五輪塔(江東区登録文化財)
  • 石造燈籠 寛文8年在銘(江東区登録文化財)
  • 地蔵菩薩像 宝永3年在銘(江東区登録文化財)

絵本墨画達磨像1幅(江東区指定有形文化財)

達磨像は、像を描いた本紙を掛軸に表装したものです。本紙は縦29.1cm、横21.4cm。表装は縦107.5cm、横32.6cmです。画像の達磨は、斜め横を向いた半身像で、濃淡色の墨を用いて描かれています。また幣衣の中に手を隠し、その部分の輪郭はなめらかなカーブの線で描かれているのが特徴的です。
達磨図は、中国禅宗の祖である菩提達磨を主題として絵画です。日本でも禅宗が定着した当初(鎌倉時代、13世紀半ば)から描かれ、禅宗寺院の最も基本的な仏画の一つとなっています。本像のような図像は、江戸時代になってしばしば見かけるもので、その簡略な図像から、おそらく禅僧などが余技で行うときに好まれた図像と思われます。本像は、画面右下にみえる二顆の落款から、開山の別伝宗分の作であることがわかり、宗分が亡くなった寛文8年(1668)までの製作と考えられます。もとは檀家に伝えられてきましたが、明治28年(1895)に寄進されました。
本像は、開山の作であること、またその伝来経路が明確であることから、江東区にゆかりのある重要な絵画といえます。(江東区教育委員会掲示より)


慧然寺の周辺図