弘誓山大秀寺|大正15年浅草山谷から当地へ移転
大秀寺の概要
浄土宗寺院の大秀寺は、弘誓山摂取院と号します。寛永5年(1628)3月、宝誉林残(1600-63)が本郷湯島に創建、明暦の大火後に浅草山谷へ移転したといいます。関東大震災で罹災、大正15年当地へ移転しました。
山号 | 弘誓山 |
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院号 | 摂取院 |
寺号 | 大秀寺 |
住所 | 葛飾区高砂7-13-4 |
本尊 | 阿弥陀如来・両挟侍像 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
大秀寺の縁起
大秀寺は、寛永5年(1628)3月、宝誉林残(1600-63)が本郷湯島に創建、明暦の大火後に浅草山谷へ移転したといいます。関東大震災で罹災、大正15年当地へ移転しました。
葛飾区寺院調査報告による大秀寺の縁起
寛永5年(1628)3月、宝誉林残(1600-63)が本郷湯島に創立。明暦3年(1657)江戸の大火に類焼して、浅草山谷に移った。元禄の「蓮門精舎旧詞」には京都黒谷金戒光明寺の末とし、
開山三蓮社宝誉林残環愚上人、生国山城国、姓飯間氏。剃髪師筑後善導寺17代源蓮社本誉法林徳阿上人、但所化寮弟子也。学問檀林増上寺附法師登誉上人。又寛永5年3月5日、於湯島天神切通起立。然15年前~(以下省略)
とある。降って大正12年9月の関東大震災にかかり、同15年、現在地に移転した。本堂は昭和2年の新築である。境内に一心地蔵尊、墓地に江戸の侠客唐犬権兵衛の墓がある。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
御府内寺社備考による大秀寺の縁起
京都知恩院末 浅草新鳥越町
弘誓山威徳院大秀寺、境内御年貢地520坪
寛永五辰年湯島切通ニ而開起仕、天和三亥年五月十七日湯島当地江引移申候。
開山三蓮社宝誉上人林残和尚、寛文三卯年三月十九日遷化。
本堂。本尊阿弥陀如来立像
地蔵堂二ヶ所
稲荷社
以上乙酉書上
往古本郷大根畑にあり。寛文年中当所へ移るよし(江戸志)(御府内寺社備考より)
大秀寺の周辺図