寿徳山仏立寺|昭和6年萬栄教会として設立
仏立寺の概要
本門佛立宗寺院の仏立寺は、寿徳山と号します。仏立寺は、日扇の孫弟子にあたる武田現章が明治29年に創建、その後清水清氏などが寺を復興したといいます。
山号 | 寿徳山 |
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院号 | - |
寺号 | 仏立寺 |
住所 | 北区田端1-7-6 |
宗派 | 本門佛立宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
仏立寺の縁起
仏立寺は、日扇の孫弟子にあたる武田現章が明治29年に創建、その後清水清氏などが寺を復興したといいます。
「北区史民俗編」による仏立寺の縁起
仏立寺
仏立寺は明治二十九年、本所の清雄寺から移り住んできた武田現章(日扇の孫弟子にあたる)によって開かれた。当時周囲は畑が多かったという。武田が大正十年(一九二一)に没した後、渋谷乗泉寺の川口日慈がこれを継いだ。信者は三百人ほどでやがて戦争となり、疎開する人が出始め信者が減ってきたうえ、空襲により寺も焼かれてしまった。川口はいったん乗泉寺に戻ったが、寺を復するより新しい土地で布教することにし、その後仙台で活動することとなった。一方、川口の弟子、清水清等は三十人程度に減ってはいたが田端周辺に残った信者のために寺を復興することを決意し、仙台へ赴く川口には従わず、バラックを建てて再び活動を開始した。そして昭和二十四年、現在の住職である増田日応氏が後を引き継ぎ、今に至っている。(「北区史民俗編」より)
仏立寺の周辺図