無動山観音寺|足立坂東三十三ヶ所、武蔵国八十八ヶ所
観音寺の概要
真言宗智山派寺院の観音寺は、無動山妙智院と号します。観音寺は、元和元年(1615)に開創、秀盛が開山したと伝えられます。足立坂東三十三ヶ所霊場23番、武蔵国八十八ヶ所霊場71番、武州足立百不動尊霊場36・37番です。
山号 | 無動山 |
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院号 | 妙智院 |
寺号 | 観音寺 |
住所 | 北区浮間4-9-2 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
観音寺の縁起
観音寺は、元和元年(1615)に開創、秀盛が開山したと伝えられます。
北区刊行ガイドマップによる観音寺の縁起
観音寺は元和元年(1615)に開創されたと伝えられています。明治43年の大水害では、本堂が床上浸水したため、樽を二つ並べてその上に本尊をおいて一晩中守ったという話しが残っています。
また、観音寺には釣鐘が二つあります。戦時中は武器を作るため、釜や銅像などの金属を供出させられ、観音寺も例外ではありませんでした。しかし、幸いにも鐘はつぶされることなく、約40年を経た昭和58年に、浮間に帰ってきたのです。現在使われている鐘は戦後作られたものです。(北区刊行ガイドマップより)
新編武蔵風土記稿による観音寺の縁起
(浮間村)観音寺
新義真言宗、川口町錫杖寺末、無量山妙智院と云。本尊不動を安ず。開山の僧を秀盛と呼べり。享保7年5月9日寂せり。
衆寮。
観音堂、正観音を安ず。行基の作なり。
鐘楼、近き頃造りし鐘をかく。(新編武蔵風土記稿より)
観音寺の周辺図