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錫杖寺。川口市本町にある真言宗智山派寺院

錫杖寺の概要

真言宗智山派寺院の錫杖寺は、宝珠山光照院と号します。錫杖寺は、養老元年(717)に行基が本堂を建立、自ら地蔵菩薩を刻み本尊とし開基したと伝えられます。後、鎌倉長楽寺を開創した願行上人が再興、寛正元年(1460)には、室町幕府八代将軍足利義政により七堂伽藍が整備され、宥鎮和尚が中興となったといいます。江戸時代には、徳川家光より寺領20石の御朱印状を拝領、醍醐三宝院直末関東七ヶ寺の一つ、十一談林所の一つとして末寺53ヶ寺を擁していたといい、江戸城大奥最後の御年寄であった瀧山が葬られていることでも知られています。関東八十八ヶ所霊場76番、関東百八地蔵6番、北足立八十八ヵ所霊場73番、武蔵国八十八ヶ所霊場73番、武州川口七福神の福禄寿となっております。

錫杖寺
錫杖寺の概要
山号 宝珠山
院号 光照院
寺号 錫杖寺
本尊 地蔵菩薩像
住所 川口市本町2-4-37
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



錫杖寺の縁起

錫杖寺は、養老元年(717)に行基が本堂を建立、自ら地蔵菩薩を刻み本尊とし開基したと伝えられます。後、鎌倉長楽寺を開創した願行上人が再興、寛正元年(1460)には、室町幕府八代将軍足利義政により七堂伽藍が整備され、祖宥鎮和尚が中興となったといいます。願行上人は、石神井禅定院や新宿薬王院などを開山・相模大山寺を中興した名僧、宥鎮和尚は赤羽宝幢院や赤羽普門院などを創建した名僧です。江戸時代には、徳川家光より寺領20石の御朱印状を拝領、醍醐三宝院直末関東七ヶ寺の一つ、十一談林所の一つとして末寺53ヶ寺を擁していたといいます。

新編武蔵風土記稿による錫杖寺の縁起

(川口町)錫杖寺
新義真言宗、山城国醍醐三宝院末、寺領20石の御朱印を賜ふ。宝珠山地蔵院と号す。当寺は古へ願行上人の結びし庵室なりしを、僧宥鎮其法派を継で寛正元年一寺とせりと云。故に宥鎮を開山とす。相傳ふ文明18年5月21日白日天に上り去しと、上天は則入寂のことにて、尊崇の余詞を霊異なにせしなるべし。元和年中台徳院日航御参詣の時、御小休として成らせられし後は、旧例となりて御参詣の度毎に御小休所となれり。
客殿。本尊地蔵を安ず。行基の作なり。
御座所。客殿に続きてあり。日光御参詣の時は修補を加へらると云。
御成門。中門。今は廃せり。これも御参詣の時は御普請を加へられると云。
惣門。
鐘楼。寛永18年9月新造の鐘を掛たり。銘文当寺の事実に益なければ略す。
天神社。もとは境内西の方にありしと云。神体は菅公の自作なり。何の頃か旧地にありし埋め樹の根より穿出せりと云。今もかの旧地を御自作の森と呼びて天神の除地なり。されど何の頃にやかの梅は枯たりと云。
不動堂。堂中に大日をも安ぜり。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による錫杖寺の縁起

錫杖寺
養老元年(717)に行基が本堂を建立、自ら地蔵菩薩を刻み本尊とし開基したと伝えられています。のち、北条時宗の帰依を受けた鎌倉長楽寺開創の願行上人が再興、寛正元年(1460)には、室町幕府八代将軍足利義政により七堂伽藍が整備され、中興の祖宥鎮和尚を晋住させました。以降、醍醐三宝院直末関東七ヶ寺の一つ、十一談林所の一つとして末寺53ヶ寺を有する名刹として栄えました。
元和8年(1622)には江戸幕府二代将軍徳川秀忠の日光参社の際の休息所となり、以降歴代将軍により利用されました。また、三代将軍家光からは金子、材木を拝領し、御成門を建立するとともに、御朱印20石を賜るなど、”川口宿”の中核寺院として繁栄しました。(境内掲示より)


錫杖寺所蔵の文化財

  • 銅鐘(埼玉県指定有形文化財)

銅鐘(埼玉県指定有形文化財)

この銅鐘は、池の間(鐘の中央部分)に刻まれている銘文から、寛永18年(1641)9月、川口宿名主である宇田川氏が先祖供養の施主として川口鋳物師長瀬冶兵衛守久が鋳造し、菩提寺である錫杖寺に奉納したものです。
銅鐘の製法は右に示すとおり湯(溶融した金属のこと)を型に4回に分け流し込んで造られています。形状は、総高132cm、口径66cmと比較的小型ですが、型抜きの良い細身の美しい形をしています。上部の鋳型の継ぎ目を隠すための疵状の突起は江戸時代初期の鋳法の特徴を示し、池の間には由来が記されています。また、吊り手の龍頭は精巧で美しい形をしており、近世初期の工芸品として、また、川口を代表する地場産業である鋳物業の歴史をたどる上でも大変貴重な資料です。(境内掲示より)


錫杖寺の周辺図


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