三等山永隆寺|元和4年に創建
永隆寺の概要
天台宗寺院の永隆寺は、三等山妙達院と号します。永隆寺は、日達上人が開基となり、麻布山大乗寺と称して元和4年(1618)に創建したといいます。元禄11年(1698)日蓮宗不受不施派への禁制により天台宗に改めて随道上人が中興、明治35年に三田小山町より当地へ移転しています。
山号 | 三等山 |
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院号 | 妙達院 |
寺号 | 永隆寺 |
住所 | 目黒区中目黒5-7-21 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
永隆寺の縁起
永隆寺は、日達上人が開基となり、麻布山大乗寺と称して元和4年(1618)に創建したといいます。元禄11年(1698)日蓮宗不受不施派への禁制により天台宗に改めて随道上人が中興、明治35年に三田小山町より当地へ移転しています。
目黒区教育委員会掲示による永隆寺の縁起
三等山 永隆寺(天台宗)
この寺は、元和4年(1618)日達上人の開基で、麻布山大乗寺と称し、日蓮宗の寺でした。元禄11年(1698)天台宗に改め随道上人が中興の祖となりました。その後寺号を「三等山永隆寺」と改め、明治35年に三田小山町より現在の地に移りました。本堂には”木造阿弥陀如来立像”が安置されています。
本寺はもと、旧但州出石藩仙石家の菩提所で、仙石騒動の中心人物である神谷.転の墓があります。また、狩野探幽の瓢形をした墓碑がありましたが、今は池上本門寺境内の南之院に移されています。(目黒区教育委員会掲示より)
「目黒區大觀」による永隆寺の縁起
永隆寺
中目黒三ノ九六六番地馬喰坂上に在る。當寺は古く元和四年(三一七年前)日蓮宗の僧日達上人の開基にて、麻布山大乗寺と稱へて日蓮宗の寺院で在つたが、元禄十一年東叡山御寶御預となり、爾来天台宗に改め随道上人が中興の祖となつた。後寺號を三等山永隆寺と改め明治三十年に三田小山町より現在の所に移る。
當寺は元と旧但州出石藩仙石家の菩提所であつた爲め、仙石騒動の中心人物として世に知らるゝ神谷轉の墓所が現在して居る。尚ほ狩野探幽の墓碑が瓢形をして古色蒼然同寺墓地の一隅に在る。因みに探幽は在世中池上南之院の唯一の檀家にて、墓所も同院に在り現に東京府から史蹟として指定されて居るから、此墓碑は恐らく探幽生前特別の親交ありし當時の住職が探幽の冥福を祈る爲めに、一基の墓碑を建てたものが、同寺の移轉と共に此處に移されたものであらう。(「目黒區大觀」より)
永隆寺の周辺図