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朝日神社|港区六本木の神社、朝日稲荷、日ヶ窪稲荷

朝日神社の概要

朝日神社は、港区六本木にある神社です。朝日神社の創建年代は不詳ですが、天慶年中(940年)草創と伝えられ、市杵島姫大神(弁財天)を祭っていたといい、織田信長公の室朝日姫(三光院清心尼)の尊信を集めたことから明和年間(1764-1771)朝日稲荷と改称したといいます。また江戸時代の地名日ヶ窪から日ヶ窪稲荷とも称されたといいます。明治28年朝日神社と改称しました。

朝日神社
朝日神社の概要
社号 朝日神社
祭神 倉稲魂大神、市杵島姫大神、大國主大神、大山祇大神、北野天神
相殿 -
境内社 -
住所 港区六本木6-7-14
備考 -



朝日神社の由緒

朝日神社の創建年代は不詳ですが、天慶年中(940年)草創と伝えられ、市杵島姫大神(弁財天)を祭っていたといい、織田信長公の室朝日姫(三光院清心尼)の尊信を集めたことから明和年間(1764-1771)朝日稲荷と改称したといいます。また江戸時代の地名日ヶ窪から日ヶ窪稲荷とも称されたといいます。明治28年朝日神社と改称しました。

「東京都神社名鑑」による朝日神社の由緒

創立年不詳。旧記不伝、不詳であるが、故老の伝えるところによれば、織田信長の息女朝日姫当地に立ちより、霊験に浴し本社を祀ったという。(「東京都神社名鑑」より)

境内掲示による朝日神社の由緒

當神社は旧記によれば旧暦天慶年中(西暦九百四十年)草創と伝えられ、はじめ市杵島姫大神(弁財天)を祭り当地の鎮守の社として広く庶民に尊信されて居り、後伝う処によれば織田信長公の室朝日姫(清心尼)が、澁谷に住す嘗て長者ヶ丸を過ぐる折、叢中に光有りて旭陽の白露に映ずるが如し熟視すれば、稲荷の神像及び観音の像ありのち奉持して帰り、観音像は他の寺院に贈り稲荷の神像は暫らく草庵に祭るも后、弁財天と合祀して日ヶ窪稲荷と呼ばれたが明和年間に朝日稲荷と改称され、益々尊敬する人々多く、隆昌を極め明治二十八年朝日神社と改称する。(境内掲示より)

「麻布區史」による朝日神社の由緒

朝日神社(無格社)北日下窪町二三
祭神倉稲魂尊、大祭九月二十一・二十二日。勧請年月は定かでないが、社傳には天慶年中の草創と謂つてゐる。當初辨財天を祀り、後に稲荷を合祀したと云ふ。又一説に織田信長の室三光院清心尼(筒井伊賀守順慶の姪)が、長者ヶ丸の叢中より拾得した稲荷の神像を合祀して社殿を修理したとも謂はれて伊る。尤も櫻田町専稱寺の朝日観音にも類似の傳説がある。最初日ヶ窪稲荷と呼ばれ、明和年間に朝日稲荷と改稱したやうである。天正年中より麻布氷川神社の兼務するところとなつた。現社號に改めたのは明治二十八年十二月四日である。
維新前は徳乗院(維新後廢絶)が別當寺であつた。社殿は流造、氏子は北日下窪町だけで、其の數二百六十四戸を算へる。(「麻布區史」より)

「東京名所図会」による朝日神社の由緒

朝日神社
朝日神社は。北日ヶ窪町二十二番地に在り。即ち芋洗坂の下にして。祭神は倉稲魂大神を主とし。厳島大神、大國主大神、大山祇大神、菅原大神を配祀す。もとは朝日稲荷社と稱し。又日ヶ窪稲荷とも呼べり。(江戸砂子には。日ヶ窪稲荷と書し。新編江戸志には。日ヶ窪稲荷といふ。明和の比より朝日稲荷と額にありとしるせり。)真福寺末の龍乗院之が別當たり。今は井出甚三郎君。谷米山翁の跡を承けて奉仕せり。
社傳に豫れば。天慶年間の創立にして。其の後織田信長公の室佛門に入りて。三光院清心尼と號し。澁谷の郷に草庵を結ひて閑居の際。當社を信仰して。社殿を修繕し。朝日稲荷大神と崇む。見今鳥居の前に細き溝あり。天慶年間には吉野川といひて。一條の流水なりし。其の源は境内の大池にして。厳島大神の神體は。万治年間此池より発見せしものなりといひ傳へたり。
大祭は。九月廿一日、廿二日。小祭は毎月十四日。廿九日にして。神楽あり。又遠州流の生花を排陳して。縦覧に供するを例とす。(「東京名所図会」より)


朝日神社の周辺図