大松稲荷神社|港区南青山の神社
大松稲荷神社の概要
大松稲荷神社は、港区南青山にある稲荷神社です。大松稲荷神社の創建年代は不詳ですが、当地に巨松があったことから大松稲荷と称されたといいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 宇迦之御魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 5月20日 |
住所 | 港区南青山5-1-7 |
備考 | - |
大松稲荷神社の由緒
大松稲荷神社の創建年代は不詳ですが、当地に巨松があったことから大松稲荷と称されたといいます。
「赤坂區史」による大松稲荷神社の由緒
大松稲荷神社(青山南町六丁目二十二番地鎮座)
祭神 宇迦之御魂神
祠堂は間口九尺、奥行二間、總朱塗にして、狐格子のみ黒く、堂内に「大松稲荷社」の遍額を掲げ、社頭の盥水盤には、天保十己亥年七月吉日とある。
俚老の談によれば、往時此地に巨松一株ありて、軀幹蟠屈、枝條蜿蜒、その翠蓋二十餘間に及び、百人町の表通りを壓し靈松と稱されたものであつたが、後暴風のために吹折られて根株ばかりを止めた。仍ちその上に小祠を營んだのがこの祠堂であつて、今も堂下に、巨大なる松の根株が現存してゐる。江戸時代にこの邊が組屋敷であつた頃は、神楽を献じ、太鼓の音賑はしく四隣に響きわたつたといふ。(「赤坂區史」より)
東京都神社名鑑による大松稲荷神社の由緒
当社はもと金王八幡宮の境外末社と称せられたが、通称大松稲荷または仲町稲荷と称した。往時この地に巨松一株があり、躯幹蟠屈枝条碗蜒、その翠蓋二十余間におよび、百人町の通りを圧し、霊松と称えられたが、のち暴風雨のために吹折られ根株のみをとどめて、その上に社殿を造営し、今もその床下に巨大なる松の根株を存する。江戸時代このあたり一帯が組屋敷であったころ、神楽を献じ太鼓の音賑々しく四隣に響き渡ったという。(東京都神社名鑑より)
東京名所図会による大松稲荷神社の由緒
大松稲荷神社
大松稲荷神社は、青山南町六丁目二十二番地に鎮座す。小祠、南向、間口九尺奥行二間、茅葺、總朱塗にして、狐格子のみは黒し、「大松稲荷社」五字を扁す。社頭、石の盥水盤に、天保十巳亥年七月吉日とあり。俚老の談に、往時此地に巨松一株ありて、軀幹蟠屈、枝條蜿蜒、その翠蓋二十餘間に及び、百人町の表通りを壓し、斗丑を憩はしめきとなむ。後、暴風に吹き折れて、根株ばかり止めけり、上に小祠を営む、礎は松の根なりといふ。大松の稱、此に因す、蓋し靈松なり。毎年二月初午、祭典執行、總屋鋪の頃は、神楽を献じ、太鼓の音、四隣に響き渡りぬと。(東京名所図会より)
大松稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「赤坂區史」
- 東京都神社名鑑
- 東京名所図会