幸稲荷神社|港区芝公園の神社

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幸稲荷神社|武蔵国豊島郡岸之村の鎮守

幸稲荷神社の概要

幸稲荷神社は、港区芝公園にある稲荷神社です。幸稲荷神社は、武蔵国豊島郡岸之村(芝大門付近芝公園十号地)の鎮守として応永元年(1394)勧請したといいます。扁額は"幸神社"と"瘡護神社"の2社の社号が掲げられています。瘡護(加佐森)神社は、病気の際に土の団子を供え、平癒したら米の団子を供える風習があり、本社(稲荷神社)よりも参拝者が多かったといいます。

幸稲荷神社
幸稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 伊弉諾命、足仲彦命、倉稲魂命、息長足姫命、保倉神、譽田別命、稚産靈命、武内宿彌
相殿 -
境内社 -
祭日 8月14・15日
住所 港区芝公園3-5-27
備考 -



幸稲荷神社の由緒

幸稲荷神社は、武蔵国豊島郡岸之村(芝大門付近芝公園十号地)の鎮守として応永元年(1394)勧請したといいます。扁額は"幸神社"と"瘡護神社"の2社の社号が掲げられています。瘡護(加佐森)神社は、病気の際に土の団子を供え、平癒したら米の団子を供える風習があり、本社(稲荷神社)よりも参拝者が多かったといいます。明治7年には村社に列格しています。

「芝區誌」による幸稲荷神社の由緒

幸稲荷神社 芝公園
祭神 伊弉諾命、足仲彦命、倉稲魂命、息長足姫命、保倉神、譽田別命、稚産靈命、武内宿彌。
應永元年四月武蔵國豊島郡岸ノ村(現在芝大門附近)に創立された。其後、岸稲荷と云つたが、度々の火災に炎上した。文化八年社地を現在の場所に移し、其社地の一部を貸地として、軍書講談、寄席、上弓場、水茶屋等を設置する事が許されてから、附近は殷賑を極めた。明治七年四月二日村社に列した。末社の瘡護(加佐森)稲荷大神には、どんな病気でも腫物だと申し上げて、土の團子を供へ、若し願が叶つたら奉賽として米の團子を供へる風習がある。俗謠に「土の團子か、お米の團子か」と謡はれたのは其爲めで、参拝者は却つて本社よりも多かつた。當社には前述の瘡護稲荷を含んだ、左の十一社が合祀されてゐる。
熊野神社(國常立命、伊邪那岐命、伊邪那美命)、茅野天満宮(菅原道真公)、松野天満宮(菅原道真公)、白金社(宇迦之女命)、稲荷神社(豊宇気神)、加佐森神社(豊宇迦之女命)、豊詐神社(保倉神)、車折神社(宇気母智命)、金刀比羅神社(大物主神)、稲荷神社(大気都比賈神)、三峰社(祭神不詳)。
氏子區域 西久保廣町、榮町、芝公園地。(「芝區誌」より)

東京都神社名鑑による幸稲荷神社の由緒

当社創立は応永元年(一三九四)四月、武蔵国豊島郡岸之村、今の芝大門付近芝公園十号地の鎮守として勧請された。昔の鎌倉街道にあたり郭公の名所として名高く、大祭には社寺奉行の出向あり、社号ははじめ岸之稲荷と称せられていたが、氏子・崇敬老中に幸事多くあるにより、幸稲荷神社と改称された。当社に御祠石(御福良石ともいう)がある。その由来は増上寺観智国師夢に告あり、翌朝社頭に神拝の折、この石に腰を掛け誓約の事あり、この石に水を注ぎ心願する時はいかなる熱病もたちまち癒えるという。また子供の夜泣き等ただちに止むと言い伝えられる。(東京都神社名鑑より)


幸稲荷神社の周辺図

参考資料

  • 東京都神社名鑑
  • 「芝區誌」