芝東照宮|港区芝公園の神社

猫の足あとによる東京都寺社案内

芝東照宮|徳川家康公逝去後、江戸鎮護のため創建

芝東照宮の概要

芝東照宮は、港区芝公園にある神社です。芝東照宮は、徳川家康公逝去翌年の元和3年(1617年)、江戸鎮護のため安国殿と称して徳川家康を祭神として創建、明治6年東照宮と改称して郷社に列格したといいます。

芝東照宮
芝東照宮の概要
社号 東照宮
祭神 徳川家康公
相殿 -
境内社 -
住所 港区芝公園4-8-10
備考 -


※御朱印はいけみずさんより寄贈


芝東照宮の由緒

芝東照宮は、徳川家康公逝去翌年の元和3年(1617年)、江戸鎮護のため安国殿と称して徳川家康を祭神として創建、明治6年東照宮と改称して郷社に列格したといいます。

境内掲示による芝東照宮の由緒

芝東照宮鎮座由来記
(御祭神)徳川家康公
(創祀沿革)当宮御祭神(御神体)は公の生前自ら駿府城に於いて祭儀をなされた寿像である。元和二年四月十七日公の薨去の際、公より「像を増上寺に鎮座させ永世国家を守護なさん」と仰せられ翌年三月現在地に社殿(安国殿)が創建された。明治以降神仏分離令により芝東照宮となった。旧社殿は権現造りで国賓になったが先の戦火で焼失し現社殿は昭和四十四年完成する。公の御神徳による東都を鎮護する代表的なお社です。徳川家康公の思想を御遺訓から学び取ると勤勉・慎重・堪忍・自責・簡素・倹約です。以って世の中の安寧、世界の平和を希求する厭離穢土劤求浄土の御旗に託しているのです。(境内掲示より)

「芝區誌」による芝東照宮の由緒

東照宮 芝公園
祭神 正一位太政大臣源家康公
元和三年三月の創立で、現在の社殿は寛永十八年に築造したものである。元は安國殿と稱し、安立院が別當であつたが、明治六年七月東照宮と改稱し、郷社に列した。本殿には松に鷹の彫刻があり、左右兩壁には獅子を畫いてある。大正四年三月二十六日文部省告示を以て特別保護建造物となつた。社務所の前に矗々と天を衝いてゐる三代将軍家光公御手植の公孫樹は、昭和五年八月二十五日告示に依り、天然記念物に指定せられた。其下に神樹の碑がある。銘には
惟銀杏樹。経幾星霜。不折不撓。固有禎祥。幹大鬱々。枝榮蒼々。勿剪勿伐。以比甘棠。
とある。碑の側面には左の一文が刻まれてゐる。
寛政六年五月。某題斯辞時。経一丈七尺六寸云。明治十六年九月所量二丈八寸餘。
本殿に安置してある家康の木像は、生存中自ら命じて彫刻させ、後に遺言して増上寺に納めたものといひ傳へられてゐる。氏子區域は芝公園地全部を包含し、月次祭は毎月一日、十五日である。四月十七日の例祭は、公園に見世物小屋がかかり賑かである。(「芝區誌」より)

東京都神社名鑑による芝東照宮の由緒

慶長六年(一六〇一)家康公六十歳の時、生存中等身の自像を彫刻させ、自から祭供をなし給い、のち、元和二年(一六一六)には増上寺観智国師に命じて、同年、安国殿に鎮座させて、永世国家を守護せんと命じた。その後、徳川家康公の遺訓どおり、社殿造営のことはじまり、翌年三月落成する。土井大炊頭利勝これを奉行した。その後、寛永十一年(一六三四)模様替あり、同十八年さらに社殿を新築する。その構造雄大にして、大正四年国宝建造物に指定せられたが、昭和二十年戦災にかかり、灰燼と化した。(東京都神社名鑑より)


芝東照宮の周辺図

参考資料

  • 東京都神社名鑑
  • 「芝區誌」