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医王山光蔵院|港区赤坂にある真言宗智山派寺院

光蔵院の概要

真言宗智山派寺院の光蔵院は、医王山薬王寺と号します。光蔵院の創建年代等は不詳ながら、寛永年間(1624-1645)飯倉に創建したといいます。享保年間より川崎大師平間寺の御民所として利用されていたものの、飯倉の発展に伴い昭和63年当地に移転したといいます。御府内八十八ヶ所霊場81番です。

光蔵院
光蔵院の概要
山号 医王山
院号 光蔵院
寺号 薬王寺
住所 港区赤坂7-6-68
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



光蔵院の縁起

光蔵院の創建年代等は不詳ながら、寛永年間(1624-1645)飯倉に創建したといいます。享保年間(1716-1736)より川崎大師平間寺の御民所として利用されていたものの、飯倉の発展に伴い昭和63年当地に移転したといいます。

「御府内寺社備考」による光蔵院の縁起

愛宕町真福寺末 西久保飯倉町一丁目
医王山光蔵院 境内御年貢地百七坪
起立開山開基相知不申候。
本堂、土蔵作三間四間、向拝、九尺ニ一丈一尺。
本尊、、薬師如来、木坐像丈一尺三寸五分。
毘沙門天、木立像二尺四寸。弘法大師、木座像一尺四寸。不動明王、木座像五寸。愛染明王、木座像七寸五分。歓喜天。
稲荷小社一宇。
石佛地蔵、丈三尺六寸。
以上丁亥書上。(「御府内寺社備考」より)

光蔵院栞による光蔵院の縁起

当光蔵院は、寛永年代の創立で、芝愛宕真福寺末寺でありました。薬師如来を本尊とし、山号を医王山、院号を光蔵院、寺号を薬王寺と称し、飯倉の地で尊崇を受けてきました。享保年間の頃から、川崎大師河原平間寺(金剛山平原寺金乗密院)が、当寺の江戸の御旅所として安置し、厄除け大師として庶民の参詣多く、其の後、御府内八十八か所霊場のうち第八十一番の札所となりました。
大正十年、本堂を改築し、毎月七日、二十一日を縁日として栄えましたが、昭和二十年五月二十五日、大東亜戦争の際、戦災に遭い、焼失しました。戦後の長い間、再建の機会をうかがっていましたが、昭和三十七年五月、本尊弘法大師を安置し、ようやく飯倉の地で再建を果たしました。高度成長期を経て、飯倉は商業地に変容し、光蔵院も高層の建物の狭間となり、この地での宗教活動に限界を感じるようになってきました。そのため、ここ赤坂に移築し、昭和六十三年三月二十六日、大本山高尾山薬王院第三十一世御山主大僧正山本秀順猊下を大導師として落成慶讃式法要を挙行しました。現在住職は先代住職の遷化により、平成十八年十二月に就任しました。埼玉県蓮田市の薬王山延明院妙楽寺を兼務寺といし、公立学校の教員を兼業しています。(光蔵院栞より)


いいお墓

光蔵院の周辺図


参考資料
  • 「御府内寺社備考」