金龍山瑠璃光寺|堅田就政が開基
瑠璃光寺の概要
曹洞宗寺院の瑠璃光寺は、金龍山と号します。瑠璃光寺は、堅田就政(法号就政院殿堅安宗入大居士、延宝2年1674年卒)が開基、青松寺九世一峰麟曹和尚(元和9年1623寂)が開山となり、慶長19年(1614)創建したといいます。
山号 | 金龍山 |
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院号 | - |
寺号 | 瑠璃光寺 |
住所 | 港区東麻布1-1-6 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
瑠璃光寺の縁起
瑠璃光寺は、堅田就政(法号就政院殿堅安宗入大居士、延宝2年1674年卒)が開基、青松寺九世一峰麟曹和尚(元和9年1623寂)が開山となり、慶長19年(1614)創建したといいます。
「麻布區史」による瑠璃光寺の縁起
金龍山瑠璃光寺 飯倉四ノ四
本尊釋迦如来、慶長十九年創立、開山一峰麟曹和尚(元和九年十一月八日寂)開基堅田就政、法號就政院殿堅安宗入大居士(延寶二年十月十八日卒)寺内に左の墓がある。
伊集院土佐守 寛永六年七月歿
湯河東軒 儒者、京都の人、諱丙次、字丁甫叉元綱、初名要、伊藤仁斎の門人。筑後久留米侯に仕ふ。寶暦八年十二月十八日歿、年七十七。伊藤長堅撰文の墓誌に「葬西窪土器街瑠璃光寺」とある。
佐藤就正 本姓山脇氏、通稱彦八、謙斎と號した。直方の養子、墓石正面に「佐藤彦八就正之墓」とあり、左面に「延享四丁卯年三月二十六日歿、行年三十九」裏面に「玄上日常然居士」と刻してある。(「麻布區史」より)
瑠璃光寺の周辺図
参考資料
- 「麻布區史」