大信寺|港区三田にある浄土宗寺院

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寶嶋山大信寺|港区三田にある浄土宗寺院

大信寺の概要

浄土宗寺院の大信寺は、寶嶋山峯樹院と号します。大信寺は、念蓮社称誉上人涼公和尚(寛永14年寂)が開山となり、慶長16年八丁堀に創建したといいます。寛永12年三田へ移転、称蓮社教誉上人源公和尚(正保3年1646年寂)が中興したといいます。(現在活動していませんが)西方三十三所観音19番です。

大信寺
大信寺の概要
山号 寶嶋山
院号 峯樹院
寺号 大信寺
住所 港区三田4-7-20
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



大信寺の縁起

大信寺は、念蓮社称誉上人涼公和尚(寛永14年寂)が開山となり、慶長16年八丁堀に創建したといいます。寛永12年三田へ移転、称蓮社教誉上人源公和尚(正保3年1646年寂)が中興したといいます。

御府内寺社備考による大信寺の縁起

京都知恩院末 芝三田
寶嶋山峯樹院大信寺、境内九百八十九坪内八百二十四坪拝領地百六十五坪年貢地
起立之儀ハ慶長十六辛亥年八丁堀ニ而一宇建立仕候。
開山念蓮社称誉上人涼公和尚寛永十四丁丑年正月十一日卒
寛永十二乙亥年当所江替地被仰付候。
中興称蓮社教誉上人源公和尚正保三丙戌念九月十六日卒。
本堂、間口七間奥行六間半。
本尊阿弥陀如来、木立像丈二尺五寸三分。
脇立観世音菩薩、勢至菩薩、各木立像丈一尺九寸五分。
善導大師、木座像丈一尺六寸五分。
円光大師同。
喚鐘、差渡一尺二寸。
鐘楼、二間四方。大鐘丈三尺四寸三分差渡二尺五寸。
秋葉社、九尺ニ一間、拝殿一間ニ二間。神体面厨子入。前立三尺坊、厨子入丈九寸。
観音堂、三間四方、向拝九尺ニ三間。
厄除正観世音菩薩、丈一尺九寸、聖徳太子作。右本鎌倉権五郎景政守本尊。脇立地蔵尊、厨子入立像丈七寸五分。毘沙門天、厨子入立像丈九寸。前立観世音、立像丈二尺。馬頭観世音同。聖徳太子、厨子入立像丈三尺一寸五分・弁財天、厨子入座像丈一尺二寸。
以上戊子書上。(御府内寺社備考より)

「芝區誌」による大信寺の縁起

大信寺 三田松坂町三十番地
浄土宗智恩院末、寳島山峰樹院。慶長十六年八丁堀に創建し、寛永十二年現在の地に遷った。開山凉公は寛永十四年正月寂した。寺内に、鎌倉権五郎の持佛と稱する厄除観音がある。(「芝區誌」より)


大信寺所蔵の文化財

  • 石村近江墓

石村近江墓

十三世紀ごろ中国に三絃としておこり、琉球に伝わり、十六世紀ごろ摂津の堺(大阪府)に伝来して、京阪地方の琵琶法師に用いられていました。
その後種々の技法を取り入れた石村検校と、それを継いだ石村近江は、日本の三味線として、多数の名器を相継いで世にだし、邦楽の発展に寄与しました。
三味線の始祖とされる石村近江は、号を浄本、通称を源左衛門としい、京都から江戸に移住して三味線を完成し、「浄本近江」と呼ばれた名工でした。
寛永十三年(1636)三月二日に死去しました。
なお、石村家は代々近江の名を継ぎましたが、特に二代浄本から五代までは名匠相継ぎ、古今無双の名器を世に出しました。
墓は本堂裏手の墓地にあり、記念碑も建っています。(港区教育委員会掲示より)


大信寺の周辺図


参考資料

  • 「芝區誌」
  • 御府内寺社備考