連榮山持法寺|大久保勝次郎が檀越
連榮山持法寺の概要
法華宗陣門流寺院の持法寺は、連榮山と号します。持法寺は、白金立行寺第二世日祐(元禄6年1693年寂)が白金立行寺を隠居した後の明暦元年(1655)に創建、大久保彦左衛門の分家平左衛門家督大久保勝次郎が檀越となったといいます。
山号 | 連榮山 |
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院号 | - |
寺号 | 持法寺 |
住所 | 港区北青山2-12-8 |
宗派 | 法華宗陣門流 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
連榮山持法寺の縁起
持法寺は、白金立行寺第二世日祐(元禄6年1693年寂)が白金立行寺を隠居した後の明暦元年(1655)に創建、大久保彦左衛門の分家平左衛門家督大久保勝次郎が檀越となったといいます。
「赤坂區史」による連榮山持法寺の縁起
日蓮宗持法寺(山號速榮山越後蒲原郡本成寺末)青山北町四丁目七十一番地
文政丁亥書上には、「起立之儀は明暦元未年と申傳候得共巨細之儀相知不申候」と録上されてゐる。當寺の開山は日祐(元禄六年二月八日寂)にして、中興開山は日應(寶暦元年十一月二十五日寂)である。
當寺所蔵の舊記によれば、開山日祐は、備前岡山の人、京都本禅寺日求聖人の法弟で、白金立行寺第二世住職であつたが、かねて新寺建立の志あり、隠居して當寺に引移つたといふ。檀越帳には、筆頭に平左衛門家督大久保勝次郎といふ人あり、その上に「御先祖より御夫婦共に日祐師當寺草創の砌より檀越の初也、明暦元年」と記入されてゐる。當寺は大久保彦左衛門の香火院であつた立行寺の隠居所たりし縁故により、大久保家の分家が先づ檀越となつたのであらう。(新撰東京名所圖會)
當寺の總卵塔の中央に「最要院殿良之専忠日寶居士、寛政七乙卯年十月二日、鈴木百度日惠積之良之墓」と刻める一基あり、口碑には鈴木主水の墓なりと云はれてゐるが、これは百人組の組頭松平豊前守定盛の家来にして百人町に住まつてゐた鈴木百度之良の墓で、百度之良は寛政七年十月二日に歿した時七十九歳の老人だから、遊女白糸と情死を遂げたといふ傳説の鈴木主水とは全く別人である。(「赤坂區史」より)
連榮山持法寺の周辺図
参考資料
- 「赤坂區史」