智光山立行寺|開基大久保彦左衛門
立行寺の概要
法華宗陣門流寺院の立行寺は、智光山と号します。立行寺は、日通聖人(延宝5年1677年寂)が開山、旗本大久保彦左衛門が開基となり、寛永7年(1630年)麻布六本木に創建、寛文8年(1668年)当地に移転したといいます。
山号 | 智光山 |
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院号 | - |
寺号 | 立行寺 |
住所 | 港区白金2-2-6 |
宗派 | 法華宗陣門流 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
立行寺の縁起
立行寺は、日通聖人(延宝5年1677年寂)が開山、旗本大久保彦左衛門が開基となり、寛永7年(1630年)麻布六本木に創建、寛文8年(1668年)当地に移転したといいます。境内には大久保彦左衛門の墓所が残されています。
新編武蔵風土記稿による立行寺の縁起
(麻布領白金村)立行寺
境内除地1812坪6合、年貢地421坪。重秀寺の東にあり。法華宗京都本禅寺末、智光山と号す。開山日通聖人、延宝5年9月8日寂す。本堂10間に6間、本尊三宝を安置す。
鐘楼。門を入て左にあり。2間四方、銘あり其文左の如し(略)。
毘沙門天社。本堂の右にあり。本像2尺伝教大師の作なり。本社4間に2間、拝殿も同間数なり。前に石階あり。その下に鳥居立。(新編武蔵風土記稿より)
「芝區誌」による立行寺の縁起
立行寺 白金三光町五百二十九番地
法華宗京都東禅寺末に属し、智光山と稱する。當寺の開祖は日通上人で、其初め麻布市兵衛町に小庵を結び、日夜法華経を購説した爲め宗威が大に振つた。しかし寺内の隆盛と共に、此地が狭隘を感ずるに至つたので、大久保彦左衛門忠教、其他數百の信徒に謀り、寛永七年九月同地に一宇を建立した。これが智光山立行寺である。後、寛文八年火災に逢つて焼失し、今の地に移つた。延享二年再び灰燼に歸し、幾もなく新築の堂宇を落成したが、慶應四年の變亂に遭遇し、檀家が離散して経済を維持することが困難になつた。今の堂宇は十九世日盈に至つて、新たに營築したものである。寺内に偃蓋松、毘沙門堂、及び斎藤實盛首塚と稱するものがある。大久保彦左衛門の墓があるので、俗には「大久保寺」の名で一般に知られてゐる。(「芝區誌」より)
立行寺の周辺図
参考資料
- 「芝區誌」
- 新編武蔵風土記稿