旭照山立泉寺|石山合戦で活躍した佐々木信壽が創建
旭照山立泉寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の立泉寺は、旭照山と号します。立泉寺は、石山合戦でも活躍したという佐々木信壽が、その孫了傳法師(寛文3年1663年寂)と共に麻布龍土町に寛永3年(1626)創建、明治22年中渋谷へ、明治30年当地へ移転したといいます。
山号 | 旭照山 |
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院号 | - |
寺号 | 立泉寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 港区北青山2-12-30 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
旭照山立泉寺の縁起
立泉寺は、石山合戦でも活躍したという佐々木信壽が、その孫了傳法師(寛文3年1663年寂)と共に麻布龍土町に寛永3年(1626)創建、明治22年中渋谷へ、明治30年当地へ移転したといいます。
東京名所図会による旭照山立泉寺の縁起
立泉寺
立泉寺は海蔵寺の西隣に在り。真宗西本願寺の末にして。旭照山と號すもと麻布龍土に在りしが。近年ここに移轉せり。(東京名所図会より)
「赤坂區史」による旭照山立泉寺の縁起
真宗本願寺派立泉寺(山號旭照山、西本願寺末)青山北町四丁目百三番地
開基は了傳法師(寛文三年四月五日寂)である。了傳の祖父佐々木信壽は、武州豊島郡の産とも云ひ、或は信壽了傳共に山口出生にて、豊島郡に来つて居住した者とも傳へられるが、この信壽は、石山合戦で顕如上人が大阪籠城の砌、味方に馳せ参じ抜群の働きあり、後に剃髪して、上人より利休といふ法名を受け、戦後武州に立歸つて、芝宇田川邊に居住した。後芝より麻布龍土町へ引移り、孫了傳を扶けつつ寛永三年に當寺を建立して准如上人から寺號免許を受けた。
明治以後、同二十二年六月、南豊島郡中澁谷村字大和田三百七十三番地に移り、同三十年十二月現在の寺地へ引移つたものである。(「赤坂區史」より)
旭照山立泉寺の周辺図
参考資料
- 「赤坂區史」