法性山善学寺|港区六本木にある浄土宗寺院
善学寺の概要
浄土宗寺院の善学寺は、法性山常住院と号します。善学寺は、住蓮社生誉上人順阿真至和尚(万治2年寂)が開山となり、寛永3年(1626)創建したといいます。
山号 | 法性山 |
---|---|
院号 | 常住院 |
寺号 | 善学寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 港区六本木3-4-11 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
善学寺の縁起
善学寺は、住蓮社生誉上人順阿真至和尚(万治2年寂)が開山となり、寛永3年(1626)創建したといいます。
「麻布區史」による善学寺の縁起
法性山常住院善學寺 今井町九
増上寺末寛永三年の開創で往蓮社生譽順阿直至和尚(萬治二年四月十一日寂)の開山に係る。墓地に左の名墓がある。
天野廣丸 狂歌師、磯田廣吉と稱し好酒のところから別號を醉亀亭と云つた。相州鎌倉の産で易を井田某に、狂歌を唐衣橘洲に學んだ。文化六年三月二十八日卒、年五十四。
根岸肥前守鎮衛 従五位下 南町奉行(第二十五代)名奉行を以て稱せられ文化四年八月の兇賊暁星右衛門の斷罪など殊に有名である。文化十一年十一月四日寂、年八十(一書文化十二年十月二十八日と見ゆ)同じく第四十二代南町奉行根岸肥前守衛奮(明治八月三九年日歿)も此に葬られた。尤も根岸家一族の墓石は子孫に賣却されて今はない。
河口静斎 川越侯の儒臣、通稱三八、諱は光遠、字は子深又は穆仲、別號苧山、室鳩巣の門に學ぶ。寳暦四年十一月六日卒、年五十二。
屋代籠岡 書家、名は師道、字は友達、通稱左衛門、林家の門に學ぶ。天明六年八月二十七日歿年七十七。(「麻布區史」より)
御府内寺社備考による善学寺の縁起
芝増上寺末 麻布今井幸町
法性山常住院善学寺、境内年貢地五百七拾壱坪
起立之儀者寛永三丙寅年
開山住蓮社生誉上人順阿真至和尚万治二乙亥年四月十一日寂。
客殿。本尊阿弥陀如来、木座像長壱尺八寸六分春日作。観世音菩薩、木像。大勢至菩薩。善導大師。円光大師。各木像。
半鐘、長壱尺五寸七分差渡八寸八分。右施主字兵衛寄附関長十郎兵庫作当寺急性融誉代寛政元酉年拾月吉日。
閻魔堂、弐間半四方土蔵作。閻魔大王、木像。地蔵菩薩、木像。庚申尊、木像。正観世音菩薩、木像。
以上戊子書上。
開山真至和尚小田原の人郭山上人副法云々。改撰江戸志。(御府内寺社備考より)
善学寺の周辺図
参考資料
- 「麻布區史」
- 御府内寺社備考