安養院|港区芝公園にある浄土宗寺院
安養院の概要
浄土宗寺院の安養院は、承応2年(1653)増上寺に止住した山城国大原向坊恵隆師の坊舎を創始とするといいます。明治11年に発足した芝区の区役所が当院内に置かれたといいます。
山号 | - |
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院号 | 安養院 |
寺号 | - |
住所 | 港区芝公園2-3-2 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
安養院の縁起
安養院は、承応2年(1653)増上寺に止住した山城国大原向坊恵隆師の坊舎を創始とするといいます。明治11年に発足した芝区の区役所が当院内に置かれたといいます。
「芝區誌」による安養院の縁起
安養院 芝公園第十一號地三番
「東京名所圖會」には、「もと表門南側に在り、今はなし。寶暦文化に兩回の焼亡あり。文化三年焼失後は、再建の功をかさね、大厦高梁他に稀なる造築なりしも、文政二年四月十七日夜俄然火を失し、皆灰燼に歸せり。只存する所の者は門庫のみなりしといふ。」とあるが、文政二年直ちに再建された。(「芝區誌」より)
安養院所蔵の文化財
- 最初の芝区役所跡
最初の芝区役所跡
近代地方自治の発祥
明治初期の地方制度は、改正がくり返され、東京の行政区域はなかなか定まらなかった。
そうした中で、明治十一年(一八七八)七月二十二日、わが国地方自治制度のもとを作った郡区町村編成法が発布された。
これにより、同年十一月二日、東京には十五区六郡がおかれ、芝区が誕生した。
その時、この安養院に最初の芝区役所が設けられ、十一月四日に開庁し、初代区長に相原安次郎が任命された。当時の芝区は桜田・三田・白金・高輪の地域で、戸数一四、七五七戸、人口五八、八六一人であった。
芝区役所は、その後愛宕町に移り、さらに大正十五年(一九二六)に現在の港区役所の位置(芝公園一ノ五ノ二五)に移った。
なお、芝・麻布・赤坂区は、昭和二十二年三月十五日、統合されて港区となった。(東京都港区教育委員会掲示より)
安養院の周辺図
参考資料
- 「芝區誌」
- 浄土宗東京教区芝組「安養院」