源流院|青山播磨守忠成所縁の寺院
源流院の概要
浄土宗寺院の源流院は、観智國師の法流林應が、青山播磨守忠成と共に出府、林應庵と名づけた庵室を草創していたところ、青山播磨守忠成が増上寺造営奉行となり、増上寺の芝への移転を終えた際に工事の余材を譲り受け源流院と号して建立、後、青山播磨守忠成父子が当院に葬られたといいます。
山号 | - |
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院号 | 源流院 |
寺号 | - |
住所 | 港区芝公園1-8-13 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
源流院の縁起
源流院は、観智國師の法流林應が、青山播磨守忠成と共に出府、林應庵と名づけた庵室を草創していたところ、青山播磨守忠成が増上寺造営奉行となり、増上寺の芝への移転を終えた際に工事の余材を譲り受け源流院と号して建立、後、青山播磨守忠成父子が当院に葬られたといいます。
「芝區誌」による源流院の縁起
源流院 芝公園第八號地三番
開祖林應は観智國師の法嗣であつて、青山播磨守忠成と共に三河國より下向し、後、忠成が増上寺造營の奉行であつた時、小庵を結んで林應庵と名づけた。工事竣工の後、源譽上人の流であるところから源流院と號し、増上寺造營の餘材を以て當院を建てた。故に國師を開祖とし、自ら二世と稱した。其後、忠成父子をここに葬つた。(「芝區誌」より)
源流院の周辺図
参考資料
- 「芝區誌」