三縁山宝珠院|港区七福神の弁財天
宝珠院の概要
浄土宗寺院の宝珠院は、三縁山と号します。宝珠院は、増上寺第三十世貫主生譽靈玄大僧正が、閻魔王と共に白蓮池の辨才天女を勧請、別当寺として貞享2年(1685)に創建したといいます。港区七福神の一つとなっている弁財天は、三井寺を開山した智証大師が858年に竹生島で彫刻、源頼朝や徳川家康の崇敬を受けたといいます。
山号 | 三縁山 |
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院号 | 宝珠院 |
寺号 | - |
住所 | 港区芝公園4-8-55 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
宝珠院の縁起
宝珠院は、増上寺第三十世貫主生譽靈玄大僧正が、閻魔王と共に白蓮池の辨才天女を勧請、別当寺として貞享2年(1685)に創建したといいます。港区七福神の一つとなっている弁財天は、三井寺を開山した智証大師が858年に竹生島で彫刻、源頼朝や徳川家康の崇敬を受けたといいます。
「芝區誌」による宝珠院の縁起
寶珠院 芝公園第十八號地二番
貞享二年増上寺第三十世貫主生譽靈玄大僧正によつて、白蓮池の中島に閻魔堂の別當として草創せられた。文化十年現在地附近に移り、本堂を新築し、大正四年十月現在地に移轉改築した。境内の閻魔堂は有名である。(「芝區誌」より)
東京名所図会による宝珠院の縁起
寶珠院
貞享二年生譽霊玄上人、白蓮池の辨才天女を勧請し。又閻魔王を建立し。別當を寳珠院と名く。享保年中演譽白随上人。香衣別院に定らる。辨才天女の社。當初本院の地内にありしを。延享元年白蓮池の中島に移し。當院より供養ありしを。寛政十一年當院も同しく中島に移りしが。文化二年又移轉し。後ち十年今の地に改らる。(東京名所図会より)
宝珠院弁財天の縁起
開運出世辨才天
三井寺の開山智証大師が八五八年竹生島で奇縁に依り彫られその後源家に伝わり再興に当り頼朝公深く信仰し天下を平定される。
又徳川家康公も厚く信仰され天下の平和を築かれ除波辨才天を改め開運出世辨才天と改称されました。古来より一心に崇敬拝する者に開運出世巳成金福寿円満厄難消滅縁結びの利益を授けられ現在港区七福神の一つに制定されている。(境内掲示より)
宝珠院の周辺図
参考資料
- 「芝區誌」
- 東京名所図会