覚林寺|港区白金台にある日蓮宗寺院、清正公堂

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最正山覚林寺|山手七福神の毘沙門天、清正公堂

覚林寺の概要

日蓮宗寺院の覚林寺は、最正山と号します。覚林寺は、小湊誕生寺十八世可観院日延が開山となり寛永8年(1631)に創建したといいます。可観院日延は、朝鮮の王族出身ですが、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に加藤清正に捕えられ、後小湊誕生寺十八世となり、当地に隠居、当寺を創建したといいます。当寺では加藤清正を祀った清正公堂が著名で、毎年五月四日五日の両日に行われる清正公大祭には人生の苦悩に打ち勝つお守りとして「しょうぶ入り御勝守」が授与されるという他、軍神の毘沙門天を祀っており、山手七福神の一つとなっています。

覚林寺
覚林寺の概要
山号 最正山
院号 -
寺号 覚林寺
住所 港区白金台1-1-47
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 山手七福神の毘沙門天



覚林寺の縁起

覚林寺は、小湊誕生寺十八世可観院日延が開山となり寛永8年(1631)に創建したといいます。可観院日延は、朝鮮の王族出身ですが、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に加藤清正に捕えられ、後小湊誕生寺十八世となり、当地に隠居、当寺を創建したといいます。当寺では加藤清正を祀った清正公堂が著名で、毎年五月四日五日の両日に行われる清正公大祭には人生の苦悩に打ち勝つお守りとして「しょうぶ入り御勝守」が授与されるという他、軍神の毘沙門天を祀っており、山手七福神の一つとなっています。

「芝區誌」による覚林寺の縁起

覺林寺 白金今里町四番地
日蓮宗安房誕生寺末、寛永年間創建し、最正山と號する。開山は僧日延である。門外電車通に大石標が立つて居り、其裏面には「鎮守清正公大神儀」背面には「寛延四辛歳閏六月二十一日最正山日要」と鐫つてある。當時の住職の建てたものであることが判る。門には覺林寺の扁額を掲げてある。門内には浄行尊の石像が小宇の下に祀られ、参詣者は藁束で之を洗ふ。正面は清正堂で、有栖川宮熾仁親王の書かれた「破魔軍」の大額が掲げてある。ここには加藤清正が祀つてある。寺傳に依ると、文禄年間清正凱旋の時、朝鮮人を伴つて歸り、安房誕生寺の貫主とした。其貫主こそ日延で、寛永四年に江戸に来り、八年に當寺を開いたといふ。當寺には清正の随身である釋迦牟尼佛の立像を傳へてゐるが、清正大尊義を安置したことは、關東の諸寺中最も古いといはれる。例年五月四、五、六の日に勝守(しやうぶ守とも云ふ)を授けるが、賽者はなかなか多く、今日でも清正公の勝守として有名である。毎月十四、二十四日を縁日とする。寺寶には次ぎのやうなものがある。
釋迦牟尼佛木像(加藤清正中守本尊)一體、烏帽子岩(竹中重治といふ銘がある清正所持品)一個、清正陣中の指物(金地に桔梗紋)一張、朝鮮古鐙一個、清正書翰(七紙巻物)一巻、豊臣秀吉より清正への感状(冠山城攻の時のもの)一幅、織田有楽斎より清正への書翰一幅、太刀(陸奥三善長光作)一振、太刀(關兼光作)一振、長刀(胴田貫正國-小山上野介-作)一振、片鎌鎗(同上作)一本、脇差(仙臺綱宗作)一振、脇差(来國俊作)一振、短刀(舞鶴友英作)一振、脇差(白鞘無銘、傳云、五郎正宗作)一振。
なほ境内には祖師堂、妙法堂、稲荷祠がある。(「芝區誌」より)

境内掲示による覚林寺の縁起

通称白金の清正公さまと呼ばれる当山は、最正山覚林寺と号し寛永8年(1631)可観院日延(韓国の王族)によって開創されたお寺であります。
開創と同時に上人によってご奉安申し上げられた清正公大尊儀は古く江戸時代より開運の神さまとして霊験まことにあらたかで広く庶民大衆に崇敬されてまいりました。
毎年五月四日五日の両日に行われる清正公大祭には人生の苦悩に打ち勝つお守りとして「しょうぶ入り御勝守」が授与され、東都における清正公信仰のみなもととしていまもなお各界の参詣祈願者でにぎわいます(境内掲示より)

御府内寺社備考による覚林寺の縁起

安房国小湊誕生寺末 白金村
最正山覚林寺、境内古跡年貢地248坪外抱地360坪
起立之儀は本寺十八世可観院日延寛永年中 吋所に隠居仕其後承応(1652-1654)2年久成坊と申者借地に於開基仕候。寺号之儀を開山代○○○相分不申候元禄五壬申年五月寺社御奉行本多紀伊守様
厳有院様 御善古跡寺院に被仰付候。
開山可観院日延寛文五乙未年正月廿六日卒。
本堂、梁間三間桁行五間。内棟方二間。本尊三宝祖師。
鎮守清正神儀堂。内棟二間半二間。中之間、三間半に二間。拝殿一間半六間。
清正神儀、木坐像丈一尺一寸。右は開山日延代安座し来候。
釈迦牟尼佛、木立像丈五寸。右は清正神儀陣中当本額背小大光山日植と祀有之。細字法華経一部。
寶物
一清正神儀真書軍書翰一通
一清正神儀画像、束帯坐像半彩色一幅
一朝鮮陣中幡、絹地白丈五尺四寸余、幅一尺五寸五分、一流。
一清正公所持盆
一清正公乗鞍、青貝摺骨許
一清正公陣中指物
一太閤秀吉殿御感状
一開山日延真筆曼陀羅
一鑓、長二尺三寸幅一寸
一半鐘
一宇田国宗太刀
一延壽政勝作刀
一朝鮮人起請文
一鯖尾兜(御府内寺社備考より)


覚林寺所蔵の文化財

  • 清正公堂及び山門(港区指定有形文化財)

清正公堂及び山門

覚林寺は弘化2年(1845)の大火で全焼し、山門は安政3年(1856)、清正公堂は慶応元年(1865)に再建されたものです。
清正公堂は拝殿・幣殿・本殿からなる権現造形式です。拝殿は間口3間奥行3間、幣殿は間口1間奥行3間。本殿は土蔵造で明治中期頃の再建と考えられますが、伝統的な意匠をもちます。山門は覚林寺の表門で、木造、銅板葺の薬医門であり、両側に脇戸が付きます。斗に皿斗が付くほかは装飾要素の少ない簡素な門です。
清正公堂は本殿を土蔵造とする権現造で、近世の建物構成を継承しています。拝殿・幣殿は本格的な禅宗様形式を採用し、本殿も伝統的な意匠を引き継いでおり、近世以来の技術を伝えるものとして高く評価されています。また山門は現在の境内において最古の建築であり、同時期の建設になる清正公堂とともに、近世以来の構成を伝えている貴重な建造物です。(港区教育委員会掲示より)


覚林寺の周辺図


参考資料

  • 「芝區誌」
  • 御府内寺社備考