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高野山東京別院|港区高輪にある高野山真言宗寺院

高野山東京別院の概要

高野山真言宗の高野山東京別院は、高野山真言宗総本山高野山金剛峰寺の東京別院です。高野山東京別院は、江戸に徳川幕府が開かれた際に高野山の宝門・寿門の学侶方の在番所として慶長年間日輪寺内に開創、明暦元年(1655)芝二本榎の地を下賜され、延宝元年「高野山江戸在番所高野寺」として建立されたといいます。御府内八十八ヶ所霊場1番札所、関東八十八ヶ所霊場特別霊場、江戸三十三観音霊場29番霊場です。

高野山東京別院
高野山東京別院の概要
山号 高野山
院号 -
寺号 金剛峰寺
住所 港区高輪3-15-20
本尊 釈迦如来
宗派 高野山真言宗
葬儀・墓地 -
備考 -



高野山東京別院の縁起

高野山東京別院は、江戸に徳川幕府が開かれた際に高野山の宝門・寿門の学侶方の在番所として慶長年間日輪寺内に開創、明暦元年(1655)芝二本榎の地を下賜され、延宝元年「高野山江戸在番所高野寺」として建立されたといいます。

「芝區誌」による高野山東京別院の縁起

高野山東京別院 二本榎二丁目十五番地
高野山無量寺末派の古義真言宗で、初め中之郷瓦町にあつたが後此地に移つた。俗に高野寺と云ひ、行基を開山とする。江戸時代から同派の宗務を掌り、觸れ頭として幕府の諸達を宗内に傳達する役寺であつたが、維新の際此権限は消滅した。明治四年寺號を長壽寺と改め、昭和二年八月更に高野山東京別院と改稱し、再び末寺の統轄及び教務も處理することとなつた。境内に三鈷松があり、四國八十八所札所の第一番に當る。(「芝區誌」より)

「昭和新撰江戸三十三観音札所案内」による高野山東京別院の縁起

高野山東京別院は、慶長年間江戸に徳川幕府が開かれた際高野山の宝門・寿門の学侶方の在番所の寺として、浅草の日輪寺に寄留して開創されたのが始まりである。
明暦元年(1655)芝二本榎の地を下賜され、延宝元年「高野山江戸在番所高野寺」として正式に建立されるに至った。
昭和2年、高野山東京別院と改称し寺法を改め、住職は総本山金剛峯寺座主が兼摂している。
現在の別院建物は、昭和63年春落慶した。
本尊聖観世音菩薩は、当院第4世増舜大阿闍梨が高野山青巌寺より奉持して奉祠したのが縁起である。
観音救世の誓願は弘法大師様のみ教えの現世利益の誓願に叶い、観世音菩薩の供養法は密教修行者の必須の三密の修法となっており、観世音菩薩の霊徳は同時に大師の宝徳と申すことにもなるので、観音菩薩の信仰の普及は大師の密教寺院と共に広まり、大衆の苦悩を今も救っておられるのである。(昭和新撰江戸三十三観音札所案内より)

江戸名所図会による高野山東京別院の縁起

高野山宿寺
正覚院と号し真言宗古義の觸頭なり世俗高野寺と称せり同所南の方一丁斗小あり本尊弘法大師の像なり。門を入て本堂の右の方に丹生高野両神の祠あらむ堂前に三鈷松あり、毎歳三月廿一日影供を修行せり(江戸名所図会より)


高野山東京別院の周辺図