演暢山正覚寺|西方六阿弥陀
正覚寺の概要
浄土宗寺院の正覚寺は、演暢山成就院と号します。正覚寺は、法蓮社心誉上人源霊(寛永20年寂)が開山となり、元和5年芝金杉に創建、元禄4年当地(下高輪)へ移転したといいます。(現在活動していませんが)西方六阿弥陀4番です。
山号 | 演暢山 |
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院号 | 成就院 |
寺号 | 正覚寺 |
住所 | 港区高輪2-14-25 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正覚寺の縁起
正覚寺は、法蓮社心誉上人源霊(寛永20年寂)が開山となり、元和5年芝金杉に創建、元禄4年当地(下高輪)へ移転したといいます。
御府内寺社備考による正覚寺の縁起
京都知恩院末下高輪
演暢山成就院正覚寺、境内御年貢地六百七十九坪余内百九十八坪持添地門前町三拾坪
起立之儀者元和五年より正保三戌念迄二拾八年之間金杉町ニ起立同四亥年より下高輪村江引移申候。元禄五年甲五月御行事ニ付右跡地ニ被仰付同九日寺社御奉行本田紀伊守様、戸田能登守様松浦壱岐守様御三人御対座与被仰付候。
開山法蓮社心誉上人源霊寛永廿未念十二月十八日寂
本堂、七間四方。
本尊阿弥陀如来木立像、長二尺九寸。右本尊来迎雲座織姫之如来ト号。
脇立観世音菩薩勢至菩薩木立像、長一尺九寸。織姫之如来縁起(省略)
阿弥陀如来木立像、長二尺五寸運慶作、南方四番之札所。
帝王尊牌。将軍尊牌。善導大師木立像、長一尺六寸。円光大師同前。毘沙門天記立像、長二尺厨子入。
喚鐘、長一尺一寸差渡シ八寸五分。銘文無之左之通記有之候。
武州荏原郡高輪演暢山正覚寺第十一世大蓮社寶誉賢阿了海代。
安永五丙念正月廿八日
納施主三十間堀五丁目多賀井清左衛門、江戸神田西村和泉守作。
雲板、竪一尺五寸横八寸六分。
寛保二戌正月演暢山正覚寺鑑誉在天代ト有記。
鐘楼、九尺四方。右本文政九戌年二月風烈し為倒壊し候ニ付吋取申候。
洪鐘長三尺二寸差渡し二尺。銘無之左之通記有之。
第五世称蓮社行誉上人
此時放映第七龍集庚寅秋閏八月廿五日。
施主戌塚仙閑、同与四郎、同妻於増、同平吉。
武江神田住鋳物師粉河丹後大禄作。
鎮守社、間口語釈奥行一間。
稲荷大明神、秋葉権現合殿。(御府内寺社備考より)
「芝區誌」による正覚寺の縁起
正覺寺 高輪北町四十三番地
演暢山成就院と號し、元和五年金杉町に創建したが、正保四年此地に移つた。開山は僧心譽である。本尊を織姫の如来と稱し、中将法尼の遺物と傳へられる。西方六阿彌陀四番に當る。(「芝區誌」より)
正覚寺の周辺図
参考資料
- 「芝區誌」
- 御府内寺社備考