西谷山大養寺|西方六阿弥陀1番
大養寺の概要
浄土宗寺院の大養寺は、西谷山観宗院と号します。大養寺は、二代将軍秀忠の外室観崇院が開基となり慶長16年(1611)に創建、弁天社や地蔵堂を擁し、徳川家康画像や徳川秀忠の乳母大野局の念持佛を所蔵していたといいます。(現在活動していませんが)西方六阿弥陀1番です。
山号 | 西谷山 |
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院号 | 観宗院 |
寺号 | 大養寺 |
住所 | 港区虎ノ門5-9-3 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
大養寺の縁起
大養寺は、二代将軍秀忠の外室観崇院が開基となり慶長16年(1611)に創建、弁天社や地蔵堂を擁し、徳川家康画像や徳川秀忠の乳母大野局の念持佛を所蔵していたといいます。
「虎ノ門區誌」による大養寺の縁起
大養寺 西久保八幡町九番地
浄土宗智智恩院末、西谷山観宗院。慶長十六年将軍秀忠の外室観崇院によって開基せられた。開山は朗月である。舊時は堂宇も大きく、境内に辨天社、地蔵堂等があり、中々盛んであったが、維新後衰頽した。本尊の阿彌陀如来(立像、長三尺五寸)は兩脇士観音勢至二菩薩立像と共に運慶の作であるといはれる。外に弘法作と稱する石像がある。これは将軍秀忠の乳母大野局の念持佛で、もと江戸城内に安置してあつたが、元和七年に局が歿して此處に葬られるに及んで、當寺に移されたものである。又徳川家康の畫像(家康七十二の時秀忠の請によつて小野通女に畫かしめ、元和元年増上寺の観智國師が秀忠の命に依つ賛したもの)を蔵してゐる。西方六阿彌陀四番の札所である。(「虎ノ門區誌」より)
大養寺の周辺図
参考資料
- 「芝區誌」