久遠山栄閑院|さる寺、杉田玄白墓
栄閑院の概要
浄土宗寺院の栄閑院は、久遠山と号します。栄閑院は、久蓮社俊誉園應和尚(寛永2年寂)が、天徳寺の塔頭として創建、さる寺とも称されていたといい、蘭学者杉田玄白の墓所でもあります。
山号 | 久遠山 |
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院号 | 栄閑院 |
寺号 | - |
住所 | 港区虎ノ門3-10-10 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 杉田玄白墓 |
栄閑院の縁起
栄閑院は、久蓮社俊誉園應和尚(寛永2年寂)が、天徳寺の塔頭として創建、さる寺とも称されていたといいます。
御府内寺社備考による栄閑院の縁起
開祖久蓮社俊誉園應和尚寛永2年6月3日寂事蹟不相知。
佛殿東西8間南北5間。本尊阿弥陀如来木立像、長2尺9寸5分恵心僧都作。(御府内寺社備考天徳寺項より)
「芝區誌」による栄閑院の縁起
榮閑院 西久保巴町九十八番地
通稱猿寺とも云ひ、俗應和尚を開山とする。嘉永三年類焼し、同四年再建したが、それも大正十二年大震火災に炎上し、假建築のまま現在に至る。(「芝區誌」より)
栄閑院所蔵の文化財
- 杉田玄白墓(港区指定文化財)
杉田玄白墓
杉田玄白(1733-1817)は江戸中期の蘭医杉田甫仙の子、名は翼、字は子鳳、号は鵜斎、九幸翁など。江戸に生まれ、西玄哲に外科、西幸作にオランダ外科を学んだ。前野良沢、桂川甫周らとオランダ語解剖書を翻訳した「解体新書」は日本医学史上画期的な文献である。文化12年(1815)に脱稿した「蘭学事始」は「解体新書」翻訳の苦心談を回想した点で有名である。このほか「形影夜話」「野叟独語」などの著書がある。(港区教育委員会)
栄閑院の周辺図
参考資料
- 「芝區誌」
- 御府内寺社備考