北野神社|旧称三十番神社、旧村社
北野神社の概要
北野神社は、練馬区東大泉にある神社です。北野神社は、創建年代は不詳ですが、三十番神社として江戸時代初期には創建、土支田村の鎮守として祀られていました。明治の神仏分離令により明治7年に北野神のみを祀り、北野神社と改称の上、土支田村村社となりました。
社号 | 北野神社 |
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祭神 | 菅原道真公 |
境内社 | 稲荷神社 |
相殿 | - |
住所 | 練馬区東大泉4-25-4 |
備考 | 土支田村鎮守、旧別当:妙延寺 |
北野神社の由緒
北野神社は、創建年代は不詳ですが、三十番神社として江戸時代初期には創建、土支田村の鎮守として祀られていました。明治の神仏分離令により明治7年に北野神のみを祀り、北野神社と改称の上、土支田村村社となりました。
練馬区教育委員会掲示による北野神社の由緒
当社は、江戸時代土支田村の番神様と呼ばれ、村民の崇敬を集めていました。番神様とは法華宗(今の日蓮宗)の独特の三十番信仰-神仏混淆時代に、1ヶ月30日を神々が毎日交代で守護する-のことです。
明治政府はそうした神仏習合の思想を禁止し、三十番神の名称を廃止させました。以来当社は菅原道真公を祭神とし、北野神社と呼ぶようになりました。この辺は明治初年上土支田村となり、同24年大泉村、昭和7年東大泉町と変わりましたが、その中で当社は明治5年村社に列格し、最近では「大泉天神」と呼ばれて親しまれています。
道真公は学問の神様です。毎年初詣から春の受験期にかけて、合格祈願の人々が奉納する絵馬で絵馬掛けがいっぱいになります。
「練馬の神社」による北野神社の由緒
創立年代は不詳であるが、「新編武蔵風土記稿」土支田村の項に「三十番神社、村の鎮守ナリ。妙延寺持」とあり、「天保2年土支田村明細帳」にも「三十番神社、御除地、1反2畝15歩、氏子持、別当妙延寺」とある。江戸時代は三十番神社といい、村民からは土支田村の番神さまとして崇敬されていた。当社は江戸初期から存在していたようで、村始めの百姓加藤藤加右衛門の祖先が家の側に鎮守として祀った社と伝え、その子孫の家を宮脇と称した。同家所蔵の宝永2年(1705)の文書に「御社地之内三十番神社有之同所加右衛門と申者久敷見守仕官の鍵をも加右衛門預り罷在候云々」とあり、文政12年(1829)の議定書に「明暦3年(1657)其元地内之建立為致候由云々」と記されている。明治維新の神仏分離で三十番神像は、北野神を残して妙延寺に納め、明治7年(1874)社名を北野神社と改め、村社となった。(以下省略)(「練馬の神社」より)
「東京都神社名鑑」による北野神社の由緒
当社の創立年代は不詳であるが、『新編武蔵国風土記稿』、『土支田村明細帳』(天保二年〈一八三一〉)、儀定札(文政十二年〈一八二九〉)等によれば、番神さまと呼ばれ、江戸時代初期には、すでに存在したことが推察される。
明治維新の神仏分離のさい、御祭神を菅原道真公として社名を北野神社と改めた。現社殿は大正十五年に再建された。(「東京都神社名鑑」より)
北野神社の周辺図
参考資料
- 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)
- 「東京都神社名鑑」