倍光山妙延寺|加藤作右衛門が開基
妙延寺の概要
日蓮宗寺院の妙延寺は、倍光山と称します。妙延寺は、永禄11年(1568)に開山円乗陰日宣上人、開基加藤作右衛門が開創したといいます。江戸時代には、三十番神社(現北野神社)と併せて地域の信仰の中心となっていたといいます。
山号 | 倍光山 |
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院号 | - |
寺号 | 妙延寺 |
住所 | 練馬区東大泉3-16-5 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 空手妙延寺ゆうわ会館併設 |
妙延寺の縁起
妙延寺は永禄11年(1568)に開山円乗陰日宣上人、開基加藤作右衛門が開創したといいます。江戸時代には、三十番神社(現北野神社)と併せて地域の信仰の中心となっていたといいます。
練馬区教育委員会掲示による妙延寺の縁起
妙延寺は山号を倍光山といい、日蓮宗のお寺で、本尊は久遠の釈迦牟尼仏です。
寺伝によると、永禄11年(1568)に開山円乗陰日宣上人、開基加藤作右衛門によって開かれました。樹齢400年と推定される本堂前の大銀杏(東京都指定保存樹)が、その草創を語っています。
境内には、一千五百ヶ寺ならびに一千か寺往詣成就の題目供養塔や、庚申塔・馬頭観音・地蔵尊など貴重な石造物が沢山あります。
なお本寺には、幕末から私塾(寺子屋)が日開かれていましたが、明治7年(1874)区内最初の私立明倫学校となり、同9年からは公立豊西小学校に昇格しました。現在の区立大泉小学校の前身です。
お寺の門前を東西に通る道路を清戸道といいます。昔から大泉や石神井の人々が農産物を江戸へ運ぶ重要な路でした。(練馬区教育委員会掲示より)
練馬の寺院による妙延寺の縁起
「新編武蔵風土記稿」に「妙延寺、法華宗。下総中山法華経寺ノ末。信光山ト号ス。本尊釈迦。開山日宣。慶長3年7月寂ス。開基豈性院日安ハ。今ノ名主弥四郎ガ本家ノ祖ニテ。加藤作右衛門ト称シ。寛永15年2月終ル。大鐘、年号ヲ彫ラズ。客殿ノ扁ニカク。」とあり、別に「三十番神社(現北野神社)、村ノ鎮守ナリ。妙延寺ノ持。」の記載もある。
「妙延寺史」によると、本寺の草創は、永禄11年(1568)円乗院日宣上人となっており、「慶長3年(1598)7月11日」とあり、「土支田村地誌御調御改書上帳」にも記載されている。開基加藤作右衛門(日安)については詳しくないが、土支田村の中心人物であったろう。また、三十番神が土支田村の鎮守として当寺持となっている事とあわせて、当寺がこの一帯の信仰の中心となっていたことが想像できる。本堂は和風重層唐破風の鉄筋コンクリートの重厚な建物で、昭和40年(1965)の落成である。また境内には樹齢400年という都保存樹指定の大イチョウがある。
なお本寺は、かつて私学の第三中学校第六番小学明倫学校(明治7年)、第三中学区第二十一番公立小学豊西学校(明治9年、大泉小学校の前身)が設立されたところである。(以下省略)(「練馬の寺院」より)
妙延寺の周辺図
参考資料
- 練馬の寺院(練馬区教育委員会)