精進場稲荷神社|土支田村下屋敷精進場の鎮守
精進場稲荷神社の概要
精進場稲荷神社は、練馬区大泉町にある稲荷神社です。精進場稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、土支田村下屋敷精進場の鎮守社として祭祀されていたといいます。明治40年大泉氷川神社に合祀されたものの、昭和9年環座したといいます。
社号 | 精進場稲荷神社 |
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祭神 | 稲倉魂命 |
相殿 | - |
境内社 | 御嶽神社 |
祭日 | 例大祭9月28日 |
住所 | 練馬区大泉町2-6 |
備考 | - |
精進場稲荷神社の由緒
精進場稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、土支田村下屋敷精進場の鎮守社として祭祀されていたといいます。明治40年大泉氷川神社に合祀されたものの、昭和9年環座したといいます。
「練馬の神社」による精進場稲荷神社の由緒
創立年代は不詳。古来、豊島郡土支田村下屋敷精進場の鎮守社として祭祀されていたが、明治四〇年(一九〇七)、現在の氷川神社(大泉町)に合祀された。その後、地域集落一帯に悪疫が流行し、その災疫を除くため昭和九年(一九三四)九月二八日、再び元の鎮座地(現在地に遷座された。当社は、もと広い境内を有していたが、昭和四四年(一九六九)、関越自動車道用地として境内地のほぼ中央部分が買収されてしまった。そこで買収による財産処分と氏子の奉納により、昭和五三年(一九七八)九月二八日、残された社地に社殿等を新築した。正面の鳥居と精進場稲荷社の石碑は平成一五年(二〇〇三)の造立である。(「練馬の神社」より)
「東京都神社名鑑」による精進場稲荷神社の由緒
年代不詳。古来豊島郡土支田村下屋敷精進場の鎮守社として祭せられ、明治四十年八月十二日政令により、氏子の総意に基づき現在の練馬区北大泉五百二十番地に鎮まる氷川神社に、両神社氏子間の協議の結果合祀されることとなるが、その後、この地域集落一帯に悪疫涜行し、村氏はこの災疫を除くには、稲荷社を旧鎮座地に遷し、御奉斎いたさねばならないと氏子住民合議の結果、一同の強い要望により前記氷川神社との話し合いをもとに、昭和九年九月二十八日再び旧鎮座地に無事御遷座奉り、独立神社として、集落住民の崇敬ますます篤く現在に至る。(「東京都神社名鑑」より)
精進場稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)