井口稲荷|井口氏が伊豆国伊東に創建、慶安2年当地へ遷座
井口稲荷の概要
井口稲荷は、練馬区関町北にある神社です。井口稲荷は、永禄13年(1570)伊豆国伊東の地に、井口但馬守平義久公が、自らの始祖始祖三浦平太夫為道公をはじめ18代の先祖を尊んで造立され、慶安2年(1649)当地へ移築しました。
社号 | 井口稲荷 |
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祭神 | 宇迦御魂命 |
境内社 | - |
相殿 | - |
住所 | 練馬区関町北2-32 |
備考 | 非法人 |
井口稲荷の縁起
井口稲荷は、永禄13年(1570)伊豆国伊東の地に、井口但馬守平義久公が、自らの始祖始祖三浦平太夫為道公をはじめ18代の先祖を尊んで造立され、慶安2年(1649)当地へ移築しました。
練馬区教育委員会掲示による井口稲荷の縁起
この稲荷社は、中世、三浦半島に勢力を張っていた三浦氏の系譜に連なる関町付近の井口氏が、代々祀ってきたものです。
創建の年代について詳しいことはわかっていませんが、井口家では次のように伝えられてきました。
永禄13年(1570)伊豆国伊東の地に、三浦氏(井口氏の出自)の始祖三浦平太夫為道公をはじめ18代の先祖を尊んで、井口但馬守平義久公が領主となり、井口稲荷大明神を造立した。
慶安2年(1649)伊豆国伊東の地より、武蔵国豊島郡関村矢倉台(現在地の当時の地名と推定される)の地に移築され、開堂供養した。云々。
現在の社殿は昭和48年(1973)に移築され、境内には寄進された赤鳥居8基があります。
毎年2月の初午は、関町付近の各井口家、その関係者、地元商店街の諸家、一般参詣者で賑わい、井口一族の菩提寺である日蓮宗本立寺住職が読経し催事を行った後、参詣者が各々祈願します。「病気の時お参りしてから医者にゆくとなおる」とされていて、現代でも絵馬や赤鳥居が奉納され、その信仰が今日に受け継がれていることを知ることができます。(練馬区教育委員会掲示より)
井口稲荷の周辺図
参考資料
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